見出し画像

うまくいきたい|#短歌(10月うたの日自選)

こんばんはもしくはこんにちは、結木です。
10月もあっという間に終わってしまいましたね。

10月の短歌振り返り

うたの日への毎日投稿を始めてから、丸2ヶ月ちょっと経ちます。
月初めまでは『推し短歌』の投稿をしていたこともあり、いつも以上に短歌に触れることが多かったような気がしています。

『推し短歌』へ応募する短歌を作ってみて思ったのは、「推しのことや好きなことを、推しについて何も知らないひとに31音で伝えるのは難しい」ということです。

好きなものや推しを同じくする人には、おそらくある程度は対象への共通イメージがあるはずです。
だから、その共通イメージを前提として、短歌でそれを膨らませることも、補強することも、意外な解釈を与えることもできるのだと思っています。

でも、推しを全く知らない人に「解釈」だけ読んでもらうとき、同志からの共感を得るのとは違った難しさがあるのかも、と感じました。

また、推し短歌タグのついた作品をたくさん読む中で、自分の表現方法の偏りに思い至って、ちょっと投げ出したくなりました。
上手くなるにはどうしてもひとの作品を読む必要がありますが、難しいですね。

ずっと先の目標

「推し短歌」のコンテストの選者でもあった岡本真帆さんが、推しについてエッセイと短歌で語っているシリーズ『落雷と祝福』が好きで、更新されると読んでいます。

知っている作品でも知らない作品でも、そもそも岡本さんの文章そのものが好きなので、読んでいて楽しいのです。

原作やテーマをよく知らないまま、岡本さんの文章が一つのきっかけとなって元の作品に触れたものもありました。

現状を考えたら夢のまた夢ではありますが、いつかそういう文章を描けるようになる、というのが目標というか野望です。

当分の目標は、「独りよがりにならず、読み手に伝わりやすい表現で短歌を詠むこと」です。
たくさん作る中で見えてきたらいいな。

10月うたの日

特に月の後半、途方に暮れた題詠がいくつかありました。
特に30日の『珊瑚と百を詠み込んで』と31日の『500週間後になんとかできそうなこと』には困りました。

海なし県で生まれ育ったので珊瑚どころか海にも親しみというものを覚えたことがありません。
子供のころ、海は長い時間をかけないと辿り着けない場所で、そして未知でした。
大人になった今でも、海は苦手です。

経験のないもの、よく知らないもの、馴染みのないもの、それゆえ想像を働かせにくいものを詠み込むのは本当に難しいです。
もうちょっと外に出よう。

『500週間後になんとかできそうなこと』というお題も、単位を年に直すと結構現在の地点と距離があって、とはいえ日々の生活を積み重ねていったらあっという間であることも窺えて、何なら成し遂げられるんだろう、と悩みました。

『うたの日』は、1人家で過ごしていては絶対に作らないであろう題が出てくるところが面白くもあり、苦手でもあります。

10月うたの日自選

10月も毎日投稿していました。
短歌と向き合う習慣はできてきた気がするので、11月も頑張ってみます。

『害』
害のない存在として爪を切る服も着ておくときどき笑う

『端』
ホーム端で秋風を吸う持ち上げた足の置き場を一瞬、迷う

『噂』
噂話よりもはやく駆け抜けてすべてなかったことにさせてよ

『癖』
置き土産みたいに残る口癖に過ごした時の長さを思う

『偶』
偶像のまま愛させてほんとうの姿はどうか見せないでいて

『丸』
大人にも花丸がほしい日はあるよジェネリックとして向かううどん屋

『魂』
死神も受取拒否とかするんだね白いベッドの上で目覚める

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?