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10年前の高揚感は何処へ

はてなブログで運営している「LA SOURCE」と、クロスオーバー方式でnoteのトピックを投稿してみます。具体的に言えば、音質について詳細に記述したブログ記事に対して、今度は視点を変えて自らの内心を見つめ直して浮かんできた言葉をnoteに記していきます。
今回の題材は直近でフジヤエービックにて試聴しましたdCS Bartok DAC+

正直に言ってしまえば、元々の期待が大きかったのに納得の出来ない部分があり、かなり辛口な評価となりました。デジタルフィルタやアップサンプリングの設定によっては今後もう少し前向きな評価に転じる可能性は残っています。また聴ける機会があればフィードバックの記事投稿もする予定です。

今回の本題は、dCSの試聴に臨む直前、そして実際に聴いている時、昔の自分と比べたらとても落ち着いているなという自覚があったということです。大学生だった頃、そして働き始めて間もない頃は、当然自宅のオーディオ環境もまだまだ発展途上の状態でした。あの頃はハイエンドオーディオの試聴ができる機会があると、全身の血が活性化するような、一種の麻薬のような高揚感を覚えたものです。年に1回のヘッドホン祭では、普段は店頭に出てこないメーカーも一同に集結するので、各ブースで全神経を集中させて聴き入ったものです。あの頃は、買えもしない高級機の方をむしろ真面目に聴いていたように思います(笑

30歳になる頃には、私も貯蓄の余裕が出てきて、それなりの環境を揃えることが出来ました。7、8年かけて自分の好みの音というのを探求し、段階を経てそこに寄せてきていますから、やっぱり部屋でこれを聴くと一番落ち着きます。そして今、現時点の環境より更なる高級機を試聴した際に、経験によって手にしたものと、それによって失ってしまったものがあることを実感したのです。

若い頃、ハイエンド機器に心躍らせてアドレナリン全開で試聴していた時、その全てを体に刻もうと決意して臨んでいたけれど、今振り返ると全く何も「聴けていなかった」のではないか。そんなことをふと思ってしまうことがあります。
その反対に、300万を超える値札が横に置いてあっても平然と機材の前に座り、基礎性能は高いが音が硬いと不満を漏らす今、果たしてどちらが幸せであったのか?

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