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『飛鳥之憶 ~ あすかのおぼえ』楽曲解説・3

本記事は、弊サークルが制作した東方Projectの二次創作音楽作品である『飛鳥之憶 ~ あすかのおぼえ』の解説文です。本記事では楽曲は掲載しておりませんので、CDと併せてお楽しみください。

◆ 三、『丁未の乱』


 「丁未の乱」とは、用明2年7月(西暦:587年7月)、古墳時代から飛鳥時代への転換期にかけて起きた内乱のことです。第3曲目は、日本史に記録されているこの内乱が、『東方神霊廟』の要素も一緒にミックスされる形でオーケストラによって綴られます。『飛鳥之憶』の中で最も激しい楽曲です。
 “丁未”は干支の組み合わせの一つで“ていび”と読み、西暦587年の干支が“丁未”です。
 青娥と神子が出会うよりも前、倭国はかねてより八百万の神々を祭り上げる国でした。しかし朝鮮半島から有力な技術者や学者などを招き入れるなどして諸外国と交流を続けていると、やがて仏像が時の天皇に献上されます。仏像は仏教のシンボル、仏教とは日本から遥か遠い西域のインドを発祥とし、アジアの広い範囲で信仰されている、新時代の宗教であり学問でした。この仏像が献上されたことにより、倭国では国家として仏教を受け入れるか否かという議論が、6世紀の半ば頃から起こり続けます。
 時の天皇は決断に迷い、その判断を諸豪族達に任せることにしました。それを受けて一大豪族である蘇我氏はこう言います。

 「朝鮮半島をはじめ、大陸の多くの国が仏教を受け入れています。倭国だけがそれに背くことが出来るでしょうか」

 それに対し、もう一方の一大豪族である物部氏は反論します。

 「我々は倭国の神々を祀っています。異国の神を祀り上げるなどすれば、直ちに祟りが民衆を襲うでしょう」

 この二大豪族の意見は互いに歩み寄ることなく激化し、やがてこの崇仏・廃仏の論争を巡って、蘇我氏と物部氏らは権力争いにまで発展、ついに武力で以って互いに相手を制圧するという内乱、すなわち「丁未の乱」が起こります。当時の蘇我氏のリーダーは蘇我馬子、物部氏のリーダーは物部守屋でした。
 青娥と神子が出会い、この2人が内密に道教という新しい宗教で結ばれて間もなく、この内乱は起こります。

 『東方神霊廟』において物部氏のキャラクターと言えば物部布都、蘇我氏のキャラクターと言えば蘇我屠自古です。この曲では、物部布都のテーマ曲である『大神神話伝』を布都のテーマとしてではなく物部氏を象徴するモチーフとして、また蘇我屠自古のテーマ曲である『夢殿大祀廟』を屠自古のテーマとしてではなく蘇我氏を象徴するモチーフとして用い、それぞれのモチーフが衝突することによって物部氏と蘇我氏の対立を描いています。

 当時の政権の中心地は大和国でしたが、崇仏派の蘇我氏を打倒することを決意した物部氏は、朝廷から去って物部氏の本拠地のある河内国(現:大阪府)へ戻り体勢を整えます。序奏部が終わると、物部氏が戦の準備をするべく、弦楽器の刻みを中心に『大神神話伝』がアグレッシブな形で演奏されます[譜例⑩]。

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 また蘇我氏も兵を挙げ大和国から河内国へ進軍し廃仏派の物部氏を打倒すべく、管楽器による『夢殿大祀廟』の主題[譜例⑪]や動機が『大神神話伝』にぶつかりに行くように現れます。

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 しかし、物部氏は国家の軍部を司る豪族です。物部守屋率いる物部軍は木の上から一斉に矢を放ち、圧倒的な戦力で蘇我軍を攻撃します。弦楽器らによる『大神神話伝』の主題はたちまち勢力を増していき、金管が奏する『夢殿大祀廟』[譜例⑫]が『大神神話伝』に押されるような構図となって、蘇我馬子率いる蘇我軍は恐れ慄き退却を迫られてしまいます。

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 戦場が一時静まると、ハープによって『聖徳伝説』のモチーフ[譜例⑬]が祈りのように静かに奏されます。

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 豊聡耳神子はこの内乱で蘇我氏の軍についていました。士気が低下する自軍を見かねた神子は、「もしこの戦に勝ったならば、四天王を祀る寺院を建て、この国の仏教振興に尽力する」と誓い、ヌルデの木で四天王像を作って蘇我軍の士気を再び持ち直させます。その祈りは『夢殿大祀廟』を活気づけ、オーケストラが拡大すると共に再び蘇我軍は敵陣へと迫り、もう一度物部軍の攻撃が迫る『大神神話伝』が現れます。今まで『大神神話伝』と『夢殿大祀廟』のぶつかり合いであったこの楽曲に更に『聖徳伝説』が加わり、神子が蘇我軍を導くような形で争いは更に激化していきます[譜例⑭]。

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 神子の先導により、蘇我軍の放った矢が物部守屋に命中、総大将を失った物部軍は総崩れとなって蘇我軍が勝利を収めます。物部軍の敗戦が確定すると『大神神話伝』のモチーフは続くことなく停滞し、勝利を獲得した蘇我軍こと金管群は『夢殿大祀廟』と『聖徳伝説』が組み合わさったファンファーレ[譜例⑮]を赫々と奏しこの楽曲のフィナーレを迎えます。

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 以上は、表向きの日本史上で「丁未の乱」として伝えられている出来事に、『東方神霊廟』の楽曲を当てはめて描写したに過ぎません。しかし、『東方神霊廟』の豊聡耳神子は自らがより強い権威を持つ者となることを夢見て道教を信仰し、その弟子である物部布都や蘇我屠自古も、それぞれの氏族が持っていたポリシーを排して、道教を信奉する神子のことを慕っています。
 この曲で使われている『大神神話伝』・『夢殿大祀廟』・『聖徳伝説』のそれぞれのモチーフが、単に物部氏・蘇我氏・聖徳太子を意味するものでなく、「同胞を裏切って神子につき物部氏の裏で暗躍した物部布都」、「神子あるいは蘇我馬子のことを慕う蘇我屠自古」、「表向きには仏教を推していたがいずれは仏教を押しのけて上に立とうと目論む豊聡耳神子」として置き換えると……?またこの曲の見方が変わってくるでしょう。


四、『衰えと慰撫』へ続く――

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