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『飛鳥之憶 ~ あすかのおぼえ』楽曲解説・5

本記事は、弊サークルが制作した東方Projectの二次創作音楽作品である『飛鳥之憶 ~ あすかのおぼえ』の解説文です。本記事では楽曲は掲載しておりませんので、CDと併せてお楽しみください。

◆ 五、『二人を結ぶもの』


 ここは飛鳥にある小さな丘、甘樫丘。丁未の乱で勝利を収めた蘇我馬子と蘇我氏の一族は着々と力を持ち始めていました。蘇我氏は一族の居住地である飛鳥の地に本格的な仏教寺院を造立し、そこを中心に都を整備して国造りの礎としたのでした。甘樫丘は、それらの都や寺院の塔、蘇我氏の邸宅などが頂上から一望出来るところでしたが、この丘は都に近くとも人の往来による賑わいからは離れた場所であり、とても静かな場所、言わば「穴場」でした。この穴場を知っていた物部布都と蘇我屠自古の2人が、この甘樫丘の頂上の、木の陰に腰を下ろして話をしています。

 この日はよく晴れていて、気温もあたたかくぽかぽかとしていました。クラリネットが『大神神話伝』を奏し[譜例㉑]、布都が屠自古にたわいない世間話をし始めます。

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 丁未の乱で物部氏は破れたので、布都は物部氏の中でも数少ない生き残り、それも同胞を裏切る形でこの世に生き残った物部の氏を継ぐ者の一人です。布都は尊敬する神子に仕えるため、半ば蘇我氏に匿われるような形で飛鳥の地を出入りしていますが、未だ物部の氏を持っていることから自分へ向けられる周囲の視線を気にしており、都の中、ましてや寺院の中で目立った行動は取れず、今や兄弟もいないため、とりわけ打ち解けて話が出来る相手は神子と屠自古ぐらいでした。

 クラリネットの『大神神話伝』に続いて、今度はオーボエそしてフルートが『夢殿大祀廟』[譜例㉒]を奏し、屠自古もまた布都に話しかけます。

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 2人とも皇族の身ではないものの、神子に対する個人的な忠誠心から、豪族の中で2人はとりわけ神子との距離が近く、お互いの接触も多い関係でした。またこの2人は神子を通じて、あの物部氏も蘇我氏も触れていなかった新たな宗教・道教についての関心も持っており、それゆえ2人は、自分たちの慕う神子と秘密の道教の話題で、会話を賑わせています。

 2人の会話が温まってくると、オーケストラは拡大します。今まで管楽器が担っていた主旋律は弦楽器へと渡され、ヴァイオリンを中心に[譜例㉑]の『大神神話伝』が再び奏されます。布都は突然立ち上がって、屠自古に背を向ける形で飛鳥の都を一望し、こう言いました。


 「神子様は先の、不老不死の研究の失敗で身体を崩しておられる。今のところ政務に不都合がないほどにまで回復しているが、身体が長く保たないかもしれない」

 更に布都は続けます。

 「青娥殿の話では、一度死んで肉体から魂を依代へ移し、その依代を元にして後に仙人として復活するという、尸解仙という術があるそうだと。神子様も人生を短い一生で終わらせてしまうことに対して非常に強い憂いを持っておられるようだ。だから神子様はいま尸解仙の研究に熱心でいらっしゃる」

 神子の身体が芳しくないことは以前から屠自古は知っていましたが、尸解仙という言葉はいま布都の口から初めて聞かされました。まだ布都が何を言わんとしているのか、その全貌がよく理解しきれていない屠自古でしたが、布都の顔は、わずかに希望の光に照らされているように見えました。それがより一層、屠自古の気持ちを少しばかり混乱させているようです。

 「つまり、それはどういうことなんだ」

 屠自古は率直に布都に問います。尊敬する神子の身に今後、屠自古が予測し得ない何かが起ころうとしているのでしょうか。神子のことを人一倍意識している屠自古は緊張します。主旋律は先の『大神神話伝』から『夢殿大祀廟』へと変わり、今の布都の話を聞いて屠自古はいくつか疑問を問いかけます。それに対して布都が返事を返すように、『夢殿大祀廟』のフレーズの合間に『大神神話伝』の短いフレーズが挿入されていきます[譜例㉓]。

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 「神子様はこのさき仙人になるため、自分の身体に尸解の術を施そうと企んでおられる」

 布都は屠自古の問いかけに対して短い文章で答えます。

 「それってつまり、神子様は一度死ぬ、ということなのか……?」

 屠自古は恐る恐るそう聞きますが、布都は至って冷静に、

 「そうだ」

 と一言で返します。

 「術に失敗して帰らぬ人となるんじゃないのか……?」

 「青娥殿の指導があるから大丈夫であろう」

 神経質な屠自古のいずれの問にも布都はただ冷静且つシンプルに答えるのみで、屠自古の不安は募るばかりです。

 「そんな聞いたこともない摩訶不思議な術が簡単に成功するとは思えない。失敗して神子様がこの世から去った世界など、私には想像できない」

 屠自古は気持ちの昂りを隠すことができずに、今の正直な気持ちを布都にぶつけてしまいます。そこで『夢殿大祀廟』のフレーズは停滞し、今まで背を向けながら話していた布都はくるりと身体を回転させました。こちらに寄って屠自古の気持ちを宥めるように、『大神神話伝』の3連符のフレーズが続き、オーケストラは収束していきます。

 屠自古の口からしばらく言葉が出なくなると、再びオーケストラは拡大して布都が話を続けます。

 「尸解の術を行うのは神子様一人だけではない。我もこの計画に交わるつもりである」

 「つまり、お前も私を置いて一人にするつもりなのか……?」

 「そうではない。尸解の術後に復活した時、神子様一人だけであっては神子様に失礼である。この術の実行は、将来的なことも考えると単独では危険も多い。すなわち我のみならず更なる協力者が必要なのだ」

 「ということは……」

 「屠自古、おぬしも神子様と共に尸解の術を施してみぬか?」

 『大神神話伝』と『夢殿大祀廟』のフレーズが交互に入れ替わり[譜例㉔]、布都と屠自古が話し合います。布都は神子と共に行う尸解の計画について、屠自古も加わるよう手招きしたのです。

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 屠自古も布都の話の全貌を次第に理解していき、布都と屠自古の2人は、物部氏と蘇我氏という氏族同士の対立関係の垣根を越えて互いに心を開かせていきます。

 「神子様と我とおぬしの3人で尸解をし、後の神子様を、おぬしと我で立派に支えてさしあげようではないか」

 布都は屠自古の手を握り、顔を見つめてそう提案します。お互いの鼓動が感じられるほどに、布都は屠自古の方へ身体を寄せて、熱心に屠自古の目を覗いてきます。布都の顔には将来の神子への期待の眼差しが射しており、術に対する不安の陰りなどは一切見えませんでした。屠自古もこの先も神子様のお傍にお仕えしたいという気持ちに変わりはなく、この布都の提案を受け入れます。

 しかし、布都は物部氏が得意とする武術にも長けている故に死に対する恐怖心も薄いのかもしれませんが、蘇我氏のお嬢様であった屠自古の心には期待だけでなく不安もたくさん広がっていました。ついに屠自古の目からは涙がこぼれ出し、この術は確実なものなのか、苦しみや痛みはないか、もし神子様の身に失敗があれば……、様々な懸念が正直な不安の気持ちとなって、震えた声で屠自古の口からあふれ出します。様々な感情で入り乱れてしまった彼女はついに嗚咽を漏らして布都の胸元で泣いてしまいますが、布都は表情を変えぬまま、屠自古の髪をやさしく撫でて、冷静な返事で屠自古の心を落ち着かせようとします。

 「術は必ず成功する。一度は身体を壊された神子様だが、あらゆる学問に対して熱心に研究をされている神子様だ。青娥殿の協力もある故、ほとんど、我らの未来は約束されている」

 泣きつく屠自古を布都が繰り返し宥めて、屠自古も気持ちが落ち着き始めます。屠自古は今までの感情の昂りですっかり泣き疲れてしまったようで、布都の落ち着いた対応もあって、彼女は布都を信頼し始めます。

 「私たちも、青娥殿のように仙人様になれば……みな、ずっと神子様と一緒……」

 屠自古は小さな声でそう言って、布都の膝下で小さな笑みを顔に浮かべながら、赤くなった目をゆっくり閉じます。昼下がりの甘樫丘、木陰の下で布都は、膝の上で眠ってしまった屠自古の髪を優しく撫で続けるのでした。

 六、『我にお任せを』へ続く――


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