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『飛鳥ノ遷都 ~ アスカノセント』楽曲解説・2

本記事は、弊サークルが制作した東方Projectの二次創作音楽作品である『飛鳥ノ遷都 ~ アスカノセント』の解説文です。本記事では楽曲は掲載しておりませんので、CDと併せてお楽しみください。

◆ 二、『追憶』


 先のオープニングが神子たちの復活を待ち続ける屠自古の姿を描写していたように、神子と布都の2人が尸解の術の眠りから目覚める少し前の時から、この『飛鳥ノ遷都』の物語は始まります。神子と布都はまだ眠りの最中にいるため、この物語序盤を導いてくれる語り手は屠自古です。この第2曲目はその屠自古が、前作『飛鳥之憶』をダイジェストで振り返るような形で、今から千年以上前までに遡られるこれまでのあらすじを語ります。

 この現代では既に、厩戸皇子・豊聡耳神子の存在についてはあらゆる伝説を交えて日本中に広められており、歴史の教科書をはじめ「聖徳太子」の名で親しまれていました。あらゆる場所で「太子信仰」が起こり、聖徳太子のことを「太子様」「お太子さま」などと親しみを込めて呼ぶ人も多くおり、神子と別れてから千年以上経った今の時を過ごしている屠自古も、例に漏れずその1人となっていました。

 まずは一人の渡来人が、太子様こと神子様を訪ねに来るところからこの回想は始まります。『飛鳥之憶』の第2曲目、『隋からの渡来人』(原曲:古きユアンシェン)[譜例⑦]が引用されます。

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 屠自古からしてみれば、当時は渡来人などという者は幾人も宮中を出入りしていたため何にも珍しいことはありませんでしたが、その渡来人だけは異彩を放っていたことを察していたようです。無論その渡来人とは、大陸から訪れて来た道教の仙人、霍青娥です。倭国が外来宗教である仏教を受け入れるか否かで論議していた当時、彼女は太子様に道教という新たな宗教とその術を伝えました。やがて太子様は青娥を師として道教の研究を始めるようになったのです。

 その後間もなく内乱が起きます。仏教の受容を巡って対立した物部氏と蘇我氏の戦い、『飛鳥之憶』の第3曲目に綴られた『丁未の乱』(原曲:大神神話伝・夢殿大祀廟)[譜例⑧]です。

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 実はこの争いは、崇仏派の蘇我氏が勝利を収めるために布都や太子様が裏で糸を引いていましたが、それを知る者は屠自古と青娥を除いて今では誰もいません。

 争いの後、小休止を挟んで『飛鳥之憶』の第4曲目『衰えと慰撫』のファゴットソロ(原曲:聖徳伝説)[譜例⑨]が引用されます。

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 勤勉かつ俊才だった太子様も流石に全てがうまくは行くことはなく、不老不死への研究が裏目に出て身体を悪くしてしまったのです。屠自古は太子様を支えようとしたが、屠自古の力だけではどうすることも出来ませんでした。

 そのような月日が経つ内に、身体を弱めている太子様はやがて決意します。脆い身体を捨てて尸解仙として復活し、不老不死の身体で再び新たな人生を生きようと。その話を屠自古に教えてくれたのは布都でした。『飛鳥之憶』の第5曲目『二人を結ぶもの』(原曲:大神神話伝・夢殿大祀廟)[譜例⑩]が引用され、当時布都と屠自古が飛鳥の甘樫丘で話し合ったときの景色が蘇ります。

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 屠自古は最初、太子様と布都がそんな摩訶不思議な術が果たして成功するのかどうか、不安混じりの半信半疑の気持ちでいましたが、布都には自信があったようです。そして布都は更に屠自古にこう提案します。

 「おぬしも尸解仙となって共に神子様に仕えよう」

 ……屠自古はこの言葉を信じてその計画に乗りましたが、この布都の言葉を最後に、屠自古の生前の記憶は闇に飲み込まれてフェードアウトしていきます。布都のあの言葉が、屠自古の頭の中で何度もこだまして反響していくような感覚のうちに、これまで優しく彩られた変ニ長調の響きは次第にその調性を変貌させ、嬰ト短調への転調を遂げます。

 その屠自古は今、千年以上前に尸解の術を施すも失敗し、布都や神子と共に眠ることなくただ霊廟の中を浮遊しています。それも、千年以上前に大和国を訪れ太子様のもとに現れた渡来人と共に。『古きユアンシェン』と『夢殿大祀廟』が交互に、オーボエとフルートによって奏され[譜例⑪]、現実世界の空虚な時間の中にただ取り残された屠自古と青娥を描写しながら、この1400年前の回想を終えるのです。 

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 三、『土中の日の出・墓場にたつ戦士』に続く――

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