見出し画像

文豪、しょうもない発見、言葉がなかったら


彼がnoteを始めたらしい。理由はお金が欲しいから。文字を書けばお金になると思っているあたり、彼の前世はどんな文豪だったんだろう?と想像せざるを得ない。いや、文字を書きたいという理由づけに「お金がないから」と言っている可能性も高い。

そういえば今日自転車に乗っていると、「川端康文」という表札を見つけた。まさか川端康成の末裔だろうか。こんな所に?無い無い、あるわけ無い。一応調べてみると、川端康成の出身地はかなり近くだった。
しかし、こんな所にいるわけ無いので多分きっと、川端という姓にあやかってお名前をつけたのだろう。川端に全く関係のない私の祖父も「康文」という名前だし、流行りの名前だったのかもしれない。

私は街を歩いたり、電車に乗ったりしながらこういうしょうもないものを見つけたり、考えたりすることがかなり得意だと思う。中学生の頃、自転車に乗りながら四つ葉のクローバーを見つけたこともある。


電車に乗って、窓からそこを歩く人々を見ていると、どうしても切なくなる。
私はあの人たちの生活や考えを知らずに生きて、そのまま死ぬのかと思うと切ない。切ない、のか愛おしい、のか苦しい、なのか、はっきりと自分でもわからないけれども。

こういう時、いつもベネッセの「適職診断」にあった「言葉にならない感情を表現したいと思ったことがある?」という質問を思い出す。ある、めっちゃある。そういうことばかりだ人生。言葉にしようと思うと、どの言葉も全部当てはまらなくて、自分の気持ちさえわからず、目の前の相手に何と言って良いかもわからず、涙が出る。


MONONOAWAREの玉置くんが「本を読む理由は、自分の考えていることを誰かが言語化してくれていないかを確認する作業」(意訳)と言っていて、目から鱗だった。私の気持ちを言語化してくれた。それさえも言語化できない私は、本当に日本語話者なのだろうか。謎すぎる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?