論理的思考なき運動

「国って何?」と質問されて皆さんは答えられますか?

国(国家)には、三つの要素があると国際的に定義されている。
1)主権(その地域を統べる法や政治)
2)領域(その地域の範囲、領空・領海・領土)
3)国民(その地域で暮らす人々)
この3つの要素が国際的に認められた時に「国家」になる。

小学校、中学校の義務教育の中で必ず教わることですが、すっかり忘れてしまっている人ってすごく多い。

以前参加した事業で、北方領土問題をいかに青少年に教えるべきか難しいとインタビューで答えた学校の教員いた。
確かに、戦後70年以上経過して、北方領土問題は複雑な課題が多岐に及び、限られた授業時間の枠の中で、効果的・効率的に指導することは難しいと思うが…
それ以前に、その教員は国家の三要素がわからない…と答えるシーンがあった。

1945年8月から今まで、現在進行形で主権が侵害され、領域が不法占拠され、国民が犠牲になっているから「国家の問題」ということを理性的、論理的に理解できていないし、それを理性的、論理的に指導できていないということだ。

言い換えれば、過去そして現在の諸問題を「感情的」にしか理解していないということであり、青少年に感情論で教えようとしているということでもある。

これはその教員だけではない。

北方領土出前講座でも冒頭に「国家の三要素」を紹介する項目があり、それに合わせて受講者に三要素は何かを質問し挙手にて答えていただいているが、知っていると答えるのは5割未満。まだ教わっていない小学生ならまだしも、すでに教わっているはずの中・高・大の青少年はもちろん、社会人も含めて認識としては浅いと言える。

感情的なことをすべて否定する訳ではない。

元島民の語り部を聴いて、心動かされることはあると思うし、ロジカルな理由だけで行動を起こすほど、人は合理的ではない。
むしろ感情的であるほど人は動く。

ただ、例えば、お腹が減って死にそうな人を助けようと、近くのコンビニで弁当を盗んで渡した…

人を助けたいという感情は大事だが、それで窃盗という違法行為が合法化されるわけではない。

感情的なもの、ある意味「道徳」教育をするには、その中で「どんな行動が認められているか」という社会存在、ルールや約束事など基礎基本を教えなければ、人を幸せにしようとする善意によって、別の人が不幸にする悪意になりかねない。

すべての人々を全員幸せにするなんてことはできないが、できるだけ多くの人々を幸せにして、できるだけ不幸になる人々を少なくする…その為の基礎基本。

お腹が減って死にそうな人を見かけたから、近くのコンビニで弁当を買って渡した。

「盗む」という違法行為を「買う」にするだけで、不幸は減らせる。
当然「買う」にはお金が必要で、お金を稼ぐにも適切な方法がある。

助けたい、幸せにしたいという感情は大事だが、それを実現するには、社会に適した理性的・論理的な行動が必要という話。

北方領土問題の基礎基本は「国家」。

そこから主権・領域・国民という要素において、どんな課題が人々を不幸にしているかを考え、より多くの人々が幸せになるように工夫する…。

それが北方領土問題を学ぶことであり、北方領土問題解決へ向けた運動だと考える。

国家というものを基礎基本にするから北方領土問題は「難しい」のだ。

なぜなら、単純にロシアと四島の帰属をどうするかという話だけじゃないからだ。

単純に帰属の問題、占領・支配の問題だと解釈していると「戦争で取り戻す」という安易すぎて議論にすらならない発想が出てくる。

感情論先行型の運動として、私は「北方領土弁論大会」「スピーチコンテスト」がその傾向にあると考えている。

中学生や高校生の北方領土弁論やスピーチにて、約20年継続的に見てきて、「共存」を訴える内容が年々多くなっているが、共存という目的と、その効果は語られても、それを実現するための目標や手法がないということが多すぎる。

感情論ばかりで理性的・論理的考察が少ないということだ。

原稿をチェックする教員は、なぜ共存という青少年が描いた目的に対して、目標や手法を1行でも盛り込んだ方がより具体的で説得力がある内容になることを指導できないのか。

また目標や手法を考察することが、青少年たちにとって一番の気づきや学びになることを、審査するお歴々が審査基準として持っていないのか疑問に思うこともある。

目的・目標・手法がそっているからプレゼンは成立するし、よりよいスピーチ・弁論になるという自由課題の部では当たり前のことが、なぜか北方領土の部では少ない。

以前、私が根室青年会議所で理事長だった頃、中標津青年会議所の理事長と相談をして、北方領土の日根室管内住民大会で行われる中学生の北方領土弁論大会にて、手法や工夫を提案した青少年に「JC特別賞」として表彰し、その手法・工夫を実現するために、事業計画をその青少年と根室・中標津青年会議所の共同で作成し、予算内であれば事業化、予算が大きすぎれば提言書としてまとめ、政府や道、北隣協などの関係団体へ提出するということをやろうとしたことがある。

特別賞を設置するために、事務方と協議を重ねていたが、コロナ禍によって根室管内住民大会が式典のみの開催となり、青年会議所が審査員として参加できる弁論大会ではなくなったため実現できていないのが残念である。

もう一つ、弁論・スピーチで疑問があるのが…

これも近年の傾向だが、「SNSを活用して北方領土問題をPRする」というもの。
保護者に相談して、アカウントを取得してもらえば、今すぐできるだろと思う。
やりませんか?という提案ではなく、やった上でより良い活用法を提案するというところに価値があるのにと思う。

言い換えれば、本来できることができないということは、そこに課題があるということ。

その課題を解決するには感情ではなく論理的思考でしかない。

北方領土問題は、最高の教育項目だと考えている。

例えば、上記の「SNSで」という発想を実現しようとした際、必然的にWEB・ITの知識が必要になるし、青少年とネットの課題、ネットリテラシーなどなど、現代社会の課題とも向き合うことになる。

「共存」ということも、日本の法律に加えて、ロシアの法律、それぞれの社会保障、教育、福祉、医療などなど、色々なことを複合的に理解しなければ実現へ向けての議論にすらならない。

それは現代社会を生きる上で必要な知識であり無駄にならない経験になる。

そして、すべて北方領土問題解決へ向けて必要なものであり、それが運動にもなる。

北方領土返還を感情に訴えることも大事だが、それ以上に自分たちになにができるのかを論理的に考え実施していくことも大事な運動である。

元島民3世(国後島) 高橋 友樹

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