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高校生までの自分

初めまして。
現在(2023年)、神奈川県のサーカス動物病院で勤務しています。

名前:嶽元優希(たけもとゆき)
生年月日:2001/02/24
出身地:宮崎県えびの市
家族構成:父、母、姉、兄の5人
特技:バレーボール、ピアノ
趣味:ドライブ、魚釣り、犬と遊ぶこと、写真撮ること
好きなこと:食べること😋(まだまだ食べ盛り中・・・)


「誕生」 2001/02/24〜


実はこの日、私の誕生でもあり曽祖父の亡くなった日でもあります。
(1度でいいから会ってみたかった。すごく怖かったらしい💦)
この日は、雪が降った寒い日だったそうです。
そう!皆さんわかりましたよね!
名前は雪が降ったから「ゆき」になりました✨

ウルトラマンの帽子をかぶりご満悦

「じゃりんこ」 2005/〜

この頃の私は、とてつもなく活発で悪ガキでした。
通っていたピアノ教室の先生も大変だったことでしょう。。笑
その当時のあだ名が「じゃりんこ」
「ガキンチョ」+「砂利みないに小柄」が混ざり合った風!
ご飯食べないで、お菓子しか食べなくて親族からは「お菓子で育っている」と言われるくらいでした。
(ガリガリの小さい女の子でした。いわゆる不健康ってやつ・・・)

「負けず嫌い期」2008/〜

小学2年生になり、私はバレーボールクラブに入部しました。
(そ他にそろばんもピアノも習っていました)
同じ時期に入った、幼稚園からの友達に負けるもんか精神で自宅でも父母姉と練習をしました。
ポジションは身長が低いからレシーバー(守護神)でした。
5年生からはセッター(司令塔)がいなくてポジション変更しました。
小学6年生になり、チームキャプテンも務め「県選抜」「市選抜」に選ばれました。
トップクラスのバレーボールの楽しさを知り、さらに負けず嫌いがヒートアップしました。
(実は、この頃すでに1件の高校から声かかっていました)

「青春なんて夢」中1

地元の中学に入学し、幼稚園からピアノを習っていたこともあり「吹奏楽部で青春したいな✨」なんて夢見ていたのですが、小学校からの流れでバレーボールを継続。。笑
顧問の先生は、バレーの強豪校からの転任の先生で厳しかったです。
この頃はさらにキツくなることなんて知らない自分でした。
そんなこんなで難なく1年は乗り切りました。

「絶賛増量期」 中2

じゃりんこ時代のお話をしましたが、小柄なガリガリな女の子だった為、体重は25kgもないくらいでした。(中学校入学当初)
強くなるためには、体重管理から!という顧問の先生で、食トレ+筋トレが始まりました。
中学2年生は、先輩方が初めての方ばかりでトップでの試合経験はほぼなく、筋トレ+練習の日々でした。


「乗り越えたから今がある」中3

今の自分があるのは、この過酷な1年間のおかげです。
皆さん驚かないでくださいね。卒業時の体重「55kg弱」。
すごすぎませんか?
1週間に1回、体重測定もあり増えていなければ練習させてもらえなかったりもありました。
(測定前に水を飲みまくり毎回ギリギリセーフなライン)
食トレ+筋トレ頑張りました。やれるんです。
この頃は県トップ3に入るくらいまで強豪チームになりました✨

でも、そんな裏には心身ともにおかしくなりそうでした。
チームキャプテンにもなり、責任がどっとのしかかってきました。
何度飛ばされたことか。。(このご時世の今ではニュースになっちゃいますね)
詳しく聞きたい方は個人的に聞いてください。笑
本当に苦しかったです。夢の青春とはかけ離れていました。。
でも、トップクラスで戦えたのは乗り越えたから、先生のご指導があったからだと思います。
仲間とも何度もぶつかり、毎週末遠征や試合ばかり、平日も高校生と試合したり充実していました。
ON/OFFがしっかりとしていた先生だったので、飲み会では生クリームを顔につけたりして、やりたい放題でも優しい先生です。
今では、大好きな先生でもあり尊敬する先生です❤️


背番号「1」立ち方がやばい。S字。

「プチ反抗期」

高校決めの時期がきました。
その頃、高校からの推薦が数件きていました。
バレーボールは中学でやりきりました。そろそろ青春の時期ですよね?
というか、シンプルに勉強したかった。動物関係の仕事につき独立したかったからです。
だから、姉兄と同じ進学校を希望しました。すべての推薦を蹴るつもりでした。
顧問の先生、家族と揉めました。寒い冬にバケツの水を浴びせられた時もありました。夜ご飯も食べないで部屋に閉じこもり、顧問の先生の授業は廊下に出せれて、昼ごはんも食べず。
従うしかないんだな。と心が折れました。
推薦がきていたなかの、都城商業というトップクラスの学校に進学が決まりました。

「逃げてしまった」高校生

高校に入学するとトップクラスのイメージ通り上下関係やばい。。
食トレやばい。
寮生活だったのもあり、さらに太りました。食費も月2万行きました。(3食以外の食費)
トップクラスなのでポジション争いがやばい。ポジション争いを経験したことなかったので非常に苦しみました。
レギュラー以外は、ボール拾いがほどんどだったので練習終了後に毎晩日付けが変わる時間まで自主練、朝早く来て自主練しました。(先輩来るとコートやボールが使えなくなるからです。)

入学はセッターで入ったのですが、身長が低いからと言われレギュラーに選ばれたことはありませんでした。実力ではなく、身長での選出だったので辞めたくなりました。
いっそのこと、体を休めよう!と真逆の考えになりました。
(実は幼少期から膝の成長痛に苦しんでいたのです。)
そこで整骨院も行きまくり病院にも行っていました。
そしたら、なんと。

”右膝内側半月板断裂”と診断されてしまいました。

病院の先生いわく関節間の右側白く見えてるのが亀裂らしい



1ヶ月もしないうちに手術しました。
その当時は、頑張ってもレギュラーになれる世界ではなかったので言い訳ができたかのようにホッとしました。
私は現実から逃げてしまいました。

それから半年以上経ち、復帰できることになりましたが前みたいに急に走り出す動作や飛ぶのが怖くて思い通り動けませんでした。
膝に水が溜まり抜きに行くこともありました。(今もたまに溜まります・・)

ここで久しぶりに負けず嫌いが発動しました。
入学時みたいに、朝早くから夜遅くまで残りました。
身長の世界であれば、身長が関係しないリベロ(守護神)にポジション変更しました。
遠いところに進学させてくれた家族、中学の顧問の先生に「試合に出る」という恩返し作戦が密かに始まりました。
恩返し作戦の結果は、、、

最後の大会はリベロに選ばれました!

県大会で惜しくも2位で全国大会には出場できませんでしたが、いい恩返しはできたかと思います。

そんな感じで私の10年近いバレーボール人生に幕を閉じました。


決勝戦の前日に青島神社で参拝しました📸

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