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2023年からの方針・note版

井上です。
昨年、クリスマスの翌日に
「自分アセンション」が始まりました。

それからギュギュっと凝縮の
1カ月+が流れました。

そんな今日2/12(日)
思いついたことがあるので
即実行することにします。

それは

頭に浮かんできたこと、
朝落ちてくること(下記参照)を
とにかく書きつける実験をする。

ということです。
で、それをやる場所として
こちら note を選びました。

Note って、ようするに
「メモ」なので
思いついた時に、思いつくことを
とにかく書き付ければいいんじゃない?

という安易な発想。

ここに至った経緯を
これまた自分へのメモとして
今、こうやって書いています。

ゴールデンタイム・寝起きの時間

わたしにとって、朝は
間違いなくゴールデンタイム。

寝起きにいろんなもの、
主に言葉を伴った「観念」が
ビシバシと落ちてくる。

あるいはポコポコと生まれ
頭の中で急展開する。

それをぼんやりと受けるうち
「ハッ!」という瞬間が訪れると
スイッチが入ったように
飛び起きることになる。

そして、紙にごにょごにょと
書きなぐるか、
こうやってパソコン開いて
ぐじゃぐじゃと書き始める。

で、書きたいものが巨大すぎて
書いているうちに、だいたい時間切れ。

巨大なドライアイスを発見して
なんとか保存しようと細切れにしたり
後ずさって写真とったり、
チマチマやってるうちに溶けちゃう。

みたいな感じです。

溶けちゃった後は、決まって

「あれは、実在したのか?」
「イメージはあるんだけどな~」
「また力及ばずか…」

というボンヤリ感と残念感、
そして「何とか再生できないか」
という思いが漂います。

押してダメなら引いてみろ

ね。

こんな風にあーだこーだ
詳しいことを書いていると
ドライアイスはどんどん蒸発するのです。

もちろん、どんなに頑張っても
巨大ドライアイス様の「全貌」を
「完全に」つかむことは
きっと、不可能。

でも、どうしてもやりたいらしい。

唐突ですが、あなたにとって
お金をもらわなくても
ついやってしまうことは何ですか?

これまで時間とお金を
一番つぎ込んできたものは何ですか?

わたしにとって、それは
「哲学」です。

哲学っていうと重苦しいけど。

要は、生きていることとか
身の回りの世界について
「なんでだろう?」「なんだこれ?」
と考えることです。

そして、それを自分なりに
体系化することです。

なぜに体系化?というと
そうすることで巨大ドライアイスの
全体像がちょっとは明確になったり
解像度が上がったりするから。

いや、そういう「気がする」から
なのかもしれないです。(弱気)

また話が長くなってますが
わたしはそういうことで
放っておくとどんどん哲学します。

哲学していると、実は
「直接的な生産性」は低いです。

「このゴミは周り回ってどこへ行くの?」
「これは本当にゴミなんだろうか?」
「そもそも、ゴミとは?」

なんて考えているうちに
ゴミ出しの時間に遅れて
おうちがゴミ屋敷になる可能性が
高いです。

哲学大好きでありながらも
実際の私は、現実的な面を
多分に持ち合わせています。

そこそこ社会人として
適応してきたということでしょうね。

でも、その裏側にはいつも
「ドライアイスが~」
というジレンマがあった気がします。

それをブログとかで書いてみたり
やってきたつもりなんですが、
ブログ「記事」っていうように
きれいにまとめようとしちゃう。

まとめようとするから
思考プロセスが入って、やっぱり
「ドライアイスが~」
になってしまうのです。

そんなところに、今朝振ってきたのは
「詩人だろ?原石を落とせ」
みたいなコンセプトでした。

これまで、ついつい
素材をある程度きれいに磨いて
無駄を省いて消化しやすくしてから
人様に提供しようとしてきた。

でも、それでうまくいってるか?

う~ん、うまく行っている面は
間違いなくある。

でも、自分が欲しい未来に
近づいているかって言うと、ドキッ!

ということで、今回はこれまでと
アプローチを変えて
「意味深な素材をゴロ投げ」
することにしました。

これは、それを「やります宣言」
であると同時に、
勢いで飛び出すとすぐ迷走する
自分へのガイドラインでもあります。

これまで書いてきたものと
意識的に意識を変えて、

  • 1記事1ポイント(結論)無視

  • 起承転結 無視

  • 文体は整ってなくてOK

  • 相手に伝わるかどうか 無視

  • 読みやすいかどうか 無視

  • 時間を制限

この6点をやる実験として
ここで書いてみることにします。

「いや、箇条書きは奇数がいいし」
なんて自動的に思う自分に
気づきながら書いています(笑)
自由になってみろ、自分。

もう少しメモ

補足的に、もうちょっと書いておこう。

今日のイメージ。

詩人だった。
つまり、きれいにまとまった
学者が書くような文章は
私の本質と対極なのかもしれない。

本質。
哲学好きっていうことはつまり
本質好きということだと思います。

だったら本質の極みを投げてみろ。
荒削りの原石でいいじゃん。
ゴロゴロ、ごつごつ、取り出してみよう。

短くてギュッとした記事(?)を
ここでは、これからしばらく
書いてみたいと思います。

その原石から生まれる長い記事は
別ブログ
で書いてみようかな、と思います。

よろしくお願いします。


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