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逝く夏の……

逝く夏の汝がくちびるは雨の味
榮猿丸

やっとこちらの俳句の鑑賞を書けます。
この句は12月15日(土)のラジオ文芸選評で猿丸先生が最近の一句として紹介して下さった先日noteに書いた方ではないもう一つの俳句。
先生はラジオで「汝は親しみを込めた言い方、お前のくちびるは雨の味がしたと言う俳句ですね、」と仰っていました。照れくさい感じがお話の仕方で受け取れたのは、先生はいつも自分の俳句の説明はあまりしない、読み手の方の鑑賞が嬉しいからと言っておられるので、シャイな(俳句四季でシャイだと掲載あり!)先生らしいなと思いました。
でもなんですか!この嫉妬のような感情は!
と読むたびに沸いてくる感情と向き合いながら過ごすこと数週間。
季語の逝く夏、夏の果、あ、これは別れた人の唇を思い出しているのか、最後のキスの事かと切なくなりました。
私は以前、王子さまわたし夏の果にいます という俳句を詠みました。逝く夏、夏の果には別れや夏が去ってしまう寂しさ切なさが本意としてあると思います。
雨が降るたびにその人を思い出すのでしょうか。雨の味のする唇ってどんなだろう。もしかしたら泣いていたのかもしれない。
「汝の」くちびるではなく「汝が」くちびる「の」では説明くさくなってしまうところを、汝がとした事で目の前にドラマのワンシーンのような映像が浮かんでくる。
一夏の恋人だったのかもしれない。
私も時折ふと想い出す人がいる。
一人ではない、その時々で違う人が浮かぶ。
びっくりするくらい熱しやすく冷めやすかった(今は違います笑)だから恋の句に出会うと自分と重なる事が多い。

逝く夏の汝がくちびるは雨の味
私がこんな風に誰かに思われていたら、なんて考えたりすると胸がギュッとなる。
そういう俳句が猿丸先生の俳句にはたくさんある。
一瞬を切り取る俳句は恋に似ているのかも。
そして、空調機の前で切り取った紙切れが揺れているだけでドキッとするようになった私は、昔より惚れっぽいのかもしれないな。

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