マガジンのカバー画像

ゼロから始める伊賀の米づくり〜新米兼業農家の記録〜

62
2020年1月、三重県伊賀市の父の実家の田を継ぐことになった男の米作り1年目からの記録です。京都⇄伊賀の二拠点生活を送っている筆者が、家族の思い、地域の信頼に応えるべく、自然のま…
運営しているクリエイター

#地域コミュニティ

ゼロから始める伊賀の米づくり53:地域の友人たちとの協力で進めた代掻き作業まで

2020年1月、父から実家の米作りを継いで5年目の田植えシーズンがやってきました。 家族経営の兼業米農家という形式上、口伝や暗黙知で伝えられてきた業務フローやプロセス。それらをきちんと見える化し、共有知として遺していこうと始めた記録も、今回で53回目です。 今回は、田んぼへの水取りから代掻き時の気づきについてまとめようと思います。 田んぼに水を引く、水取りまで春になると田んぼにやってくる動物たちが持ち込んだり、畦道から侵入した草花が一気に成長してくるため、それらを除くた

ゼロから始める伊賀の米づくり47:中干しと、予期せず発生した伊賀の農家見学ツアー

中干ししている田んぼをパトロールする父から継いで4年目の田植えを5月に無事に終え、先日は中干し前の溝切りを行うことができました。 水を張ったままの田んぼの地中は酸素不足になり、化学反応によってメタンなどのガスが発生します。 これらのガスは稲の生育に影響するため、一度田んぼの水を抜いて土がひび割れるまで渇かし、根の生育を助ける『中干し』を田植え後1か月を過ぎたあたりから行いますが、その準備に、水を抜けやすくするのが『溝切り』です。 伊賀の我が家の畑では、昨年植えていて自然

ゼロから始める伊賀の米づくり36:私(たち)の現在地

最後まで天気が気がかりだった今年の稲刈りも、家族3人体制で無事に終えることができました。 今回の稲刈りに際して、いくつも考えが浮かんできたので書き留めておこうと思います。 『家』のこと、『新しい兼業農家像と家族像』のこと、『人と自然の関わり』のこと、『これから』のことなどです。 家(イエ)田んぼに関わる際、兼業農家という立場上、どうしても『家』というものが気になります。兼業農家とは、必然的に家族も動員される家族経営の一種でもあるためです。 自分が長男として生まれた頃に

ゼロから始める伊賀の米づくり23:稲刈りから籾摺り、袋詰めへ

さて、先日、田んぼで稲刈りを行った続きです。 稲は刈っただけでは私たちが普段食べているお米にはなりません。この作業場にある機械たちに手伝ってもらいます。 まず、コンバインで収穫された籾🌾は、上の画像右手の乾燥機の中に入れられます。 収穫したばかりの籾(米)は、水分量を多く含んでいます(約20〜30%程度)。 この水分量を14〜15%になるまで乾燥させていきます。乾燥させることで劣化したり味が落ちたり、また、発芽することなく保存もききやすくなります。 乾燥を終えると、

ゼロから始める伊賀の米づくり22:父から継いで2年目の収穫

見渡す限りの田園風景の景色。三重県伊賀市の実家の田んぼは、いよいよ収穫の時期となりました。 先述していたように、今年は8月に入って「災害級の豪雨」と報道された長く強い雨が続いていたため、例年に比べると収穫のタイミングが1週間弱遅れることとなりました。 それでも、こうして稲穂🌾をつけてくれているのを見ると、安心します。 (あぁ、よかった) 稲穂を確認してみると、すっかり色が黄緑色から変わってきているのがよくわかります。 あとは、圃場(ほじょう:田んぼのこと)の土の渇き

ゼロから始める伊賀の米づくり13:冬、祖父を思う

冬は、基本的にいわゆる農閑期ですが、農業は日々の環境整備が重要な営みです。また、その日々の環境整備は、利益追求的・株式会社的な観点からは不払い労働とも呼べる側面もあります。(詳しくは以下もご覧ください) ただ、自分にとっては生まれ育った土地であり、この先の集落の未来を思うと、大事にメンテナンスしていきたい場所でもあります。 おそらくその視点には、自分でも気づかないうちに、単なる金銭的利益追求とは別の価値が置かれているのでしょう。 ともあれ、冬はこの環境整備に取り組むこと

ゼロから始める伊賀の米づくり12:秋起こし

初めての収穫が終わった『ゼロから始める実家の米づくり』。 いわゆる農閑期となった秋冬も作業は続きます。 直近の稲刈りで活躍したコンバイン(稲刈り用の重機)の点検を行った後は、『秋起こし』です。 『秋起こし』は、稲刈りの時に残った稲藁をトラクターで鋤き込み、土に還していくと言うものです。 実は稲刈りの際に、コンバインを運転した時、稲を割と地上から離して収穫を行いました。地面が先頃の雨でぬかるんでおり、土ごと収穫して機械が故障してしまうリスクがあったからです。 そうする

ゼロから始める伊賀の米づくり11:稲刈り編:計2.5t収穫、精米〜出荷

米の収穫を終えた翌日。籾摺りが始まる。 家のすべての田から取れる稲穂は、一旦乾燥機に入れ、乾燥させる。そして、籾を精米し、袋詰めし、そして農協(JA)へと出荷する。例年、苗の注文時にどれだけの出荷をするかを提出する。年によって、天候の都合で不作になる時、豊作になる時、様々だ。 収穫したその日の内に、籾を乾燥機に入れ、翌日の朝から始める。そういった算段で進んでいく。 収穫の日の早朝6時半、父の友人Sさんの家に母は6時半から出かけて行った。今年は、私の家とSさんの家の、2つ

ゼロから始める伊賀の米づくり10:稲刈り編:初コンバインで収穫

とうとう稲刈り当日である。前日のひどい豪雨から、無事に晴れ間が見えて来た。 当日は、朝6時半くらいに目覚めた。心身ともに前日までで極限まで疲れすぎたこと、昨晩もまた母の準備する大量の食事で胃もたれ(若者はたくさん食べるものだ、と言う考えは未だ健在である)。とても、寝れたものではない。勝手に目が覚めてしまい、その後眠れないというだけだ。 天気はよく、少しずつ体と心を初のコンバイン運転とその後のプロセスに向けてチューニングを行っていく。臨戦態勢に心身ともに切り替えていくのだ。

ゼロから始める実家の米づくり9:稲刈り編:台風の影響で翌日に延期

前日の夕焼けに期待しながら目覚めた朝7時、「今日こそ稲刈りができる!これでようやく終われる!」と言う期待は脆くも崩れ去りました。 台風9号の影響により、局地的な大雨に見舞われたため、その日の稲刈りそのものはなくなってしまったのでした。 それでも、準備のできる限り、やるべきことは進めておかなければなりません。 長靴、手袋、洗面タオル、長袖の丈夫めの服を着込み、いざ出陣。 とりあえず、雨が弱く治ったタイミングで、精米時に出るもみクズが飛ばないように、作業場の外にシートを張

ゼロから始める伊賀の米づくり8:稲刈り編:準備を終える

大きな勢力を誇る台風が2つ、立て続けに訪れた今年。例年、8月末から9月初めにかけて行われる実家での稲刈りだが、その直撃の合間を縫って行うという肝を冷やすような実施となってしまった。 「昔、伊勢湾台風に襲われた時、台風に収穫前の稲穂が倒されたことがあった。そんなことが今後ないようにと、収穫の時期を台風がよくやってくる秋ではなく、夏の終わり頃になるよう調整してきたんや」 父の友人であり、仕事上の同僚であったHさんは言う。 それにも関わらず、こうして今年は台風に見舞われるとは

ゼロから始める伊賀の米づくり7:田んぼを疾走するライダー、現る!?

田植えを終えて1ヶ月ほど。ずいぶん、緑が鮮やかになってきました。 田植えを終えて1ヶ月と少し、6月後半から7月にかけて、実家のエリアでは田んぼの中干しの時期が始まります。 母の元へは、知り合いの地域のおっちゃんたちからこんなLINEも届くそうです。 「そろそろ、水を抜いて渇かす時期やな」 「中干しの時期やから、水を抜こう。地面がカラカラになって、ひび割れるまで渇かしなさい」 中干しとは?ではここで、中干しとは、なんでしょうか? 夏の暑い盛りに田んぼの水を抜いて、土

ゼロから始める伊賀の米づくり6:今、自分を取り巻くすべての人と環境に感謝を。

2日前には代掻きまでを終え、水を入れて均した田を落ち着かせる。 前日には、田植え機のメンテナンスを終え、いよいよ田植えの日である。 天気予報では昼過ぎから雨の予定。思えば、物心ついた頃から雨や土砂降りの中で田植えを手伝った経験は無かった。不思議と、晴れの日の思い出が多い。 とはいえ、雨が降るまでに3反(約3,000㎡)×2枚+0.5反の田の植付けを終えてしまわなければ、後始末も大変だ。 今年は、母、祖母、奥さんと自分の四人体制で取り掛かる。 朝7時に目を覚まし、まずは

ゼロから始める伊賀の米づくり5:田に水を入れる=地域の目に触れるということ

年が明けて2月以降、私は2週間に1度くらいのペースでトラクターに乗り、田を耕してきた。トラクターに乗って土を耕すことは、冬の間に生えてしまった雑草を土に埋め込んで肥料にしたり、地表と地中の土を鋤いて入れ替えることで、微生物の活動の活性化を促し、良い土壌づくりに繋がる。(いわゆる、『天地返し』の原理と同じである) そして、四月末、いよいよ田に水を引く『水取り』の時期がやってくるわけだが、水を引くとは、自分の家の田にとってどういう意味を持つのだろうか? 用水路は、当たり前では