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無料のコンテンツに触れる Vo.11

朝起きるときに、アラームを使う。
作業をしながら、Spotifyで音楽を聴いている。
ご飯を食べている時に、TVerでドラマを見ている。
空いた時間に図書館で借りた本を読む。
Youtubeをなんとなしに見る。

これら全てには、お金が支払うことなく、使用したり、楽しめたりするコンテンツである。少し昔だと、CDを借りてきて音楽を聴いていたし、ドラマも録画やTSUTAYAで借りないと見れていなかった。他にも、コンテンツを見る・聞くプラットフォームも増えてきた。文章を読みたいと思えば、noteで様々な人の言葉を文章を読むことができる。ラジオを聴きたければ、ラジオのアプリをダウンロードすれば聴ける。

そう考えると、「タダで」できることがとても増えているし、コンテンツがいかに容易く手に入れることができるようになったかが分かってきた。

最近私は、金欠である。それについては、また何かの機会で投稿しようと思います。そんな私にとっては、無料がいかにありがたいか。コンテンツを無料で提供してくださる方たちには本当に感謝でしかないです。。。

ですが、同時に思ったことがあって、コンテンツを作った人には、お金は支払われないのだろうかいう点です。私は、コンテンツを作る仕事に就いていないので、その事情を全く分かりません。
(もし、分かる方がいらっしゃいましたら、コメントで教えてください。)
無料で受け取れるのは、一方では損失を被っていると考えます。だって、物をタダであげれば、所有している物が減るし、購入した物なら尚更、お金を渡しているようなものとも言えるからです。だから、コンテンツの渡し手に対しては、利益ってあるのだろうかと思います。(マーケティングとして、消費者に無料でコンテンツに触れてもらい、そのあとにコンテンツを継続して使ってもらうためというのもあるのか…)
もう一つ、じゃあタダで楽しんだこととお金を支払ったことでは、どれだけ印象や情報としての価値があるのでしょうか。

もし、ディズニーランドがタダで入場できたら。。。
映画館で映画を見ることがタダだったら。。。
そこに価値を生み出すことのできる環境を維持することってできるのでしょうか。

ここで感じたことは、只より怖いものは本当にないのかもしれないということです。発信する側にとっても、受け取り側にとっても。
タダだから、見よう。タダだから、貰おう。タダだから、聴こう。
タダだから、、、
おいおい、タダだからで選んでいないかい?
選択の仕方が自分の意志ではなく、外部からの影響による選ばされ方をしていないか。(受け取り側の怖いこと)

決して、コンテンツをタダで受け取ることをダメであると考えているのではなく、タダだから受け取ろうとする考え方に疑問を抱く必要があると考えた。コンテンツを消費することだけに、人生を費やしたくないから、こんな発想に至ったのだろうな。
また、無料のコンテンツとなっている仕組みについて、知りたいと思う。じゃないとコンテンツがどんどんと廃れていくように思えてしまうから。

今日もまた、TVerで公開している「踊る大捜査線」の続きを観るのだろうし、ピッコマで「魁!!男塾」を読んでいるのだろうけども。。。

無料で提供してくださり、ありがとうございます!!!!!(涙)

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