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永野 護「敗戦真相記」

永野 護「敗戦真相記」を読みました。

日本の国策の基本的理念が間違っていた。万邦共栄といいながら日本だけが栄えるという日本本位の考え方をあらゆる国策の指導理念にした。
自給自足主義こそがガンであった。日本の勢力範囲内に戦争のために必要とするあらゆる物資を皆収めようした。
自給自足を肯定すると他国の資源、領土を侵略することが肯定される。なぜなら、日本は資源がないから。
自給自足を種として、ドイツをお手本とし、己を知らず敵も知らず、国民の声を聞かない政治を行ったことで、戦争に突入していった。
戦争の敗因は、1.戦争目的が公明正大な目標を欠いており、日本以外の東亜諸民族の納得感を得られなかったこと。2.軍部が自己の力を計らず、敵の力を研究せず、自己の精神力を過大評価した慢心。根本的に研究しなければ戦争ができないことの認識が足りない。例えば戦争になったら英語を研究せなばならないときに英語を禁じること。3.最後に国民の良識を無視する独りよがりの指導者の存在がある。
敗戦に「科学無き者の最後」を見なければならない。科学の進歩の差があり、それは1.化学兵器の差、2.マネージメントの科学性の差がある。

(これを今の言葉にするなら「技術開発と、その運用、管理方法の差」といえるだろう。ここは、絶望的に今と昔で変わっていない。)

戦争を終わらせた直接的な原因は、原子爆弾とソ連の参戦であるが、間接的な原因は明治以来蓄積した資本を使い切ったことにある。最後のトドメが中小都市の爆撃である。

この書籍は、永野さんが敗戦直後の昭和20年9月に語った内容である。変わった部分はたくさんある。成し遂げたこともたくさんある。

しかしながら目を引くのが、その中に、ゾッとするくらい変わらない日本の姿があることである。

科学技術の開発、応用、そしてその利用と運用が不十分であること。人材教育に対する不十分な投資。何かを成し遂げるときにゴールを設定できず、その過程の中で納得感のあるストーリーを紡げないこと。

資源がないこの国で何を蓄積しなければ行けないかといえば、それは科学であり、技術であり、それを実践する体制であり、その体制を支える人材教育である。そこを我々は今徹底的にできているであろうか?

我々は、グローバルに価値を提供するだけの十分な能力があるであろうか?そのことを極めて客観的に見ているだろうか?独りよがりで、自分に甘くないのであろうか?もしそうなら、我々は、日本を戦争に突入させた当時のリーダーたちと何も変わっていないということだろう。

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