小さな小さな恥ずかしい話

ある暑い日の夕方。長時間稼働のあと、ヘトヘトになって電車に乗っていた。帰宅ラッシュ。満員ではないまでもそこそこの混雑具合。地元まではまだまだ遠い。あたいは吊り革につかまっていた。

違和感を感じる。嫌な予感がするのだ。なんだ?忘れ物でもしたか?違う。顔に何かついて?違う。

あぁ。

気付いてしまった。
社会の小窓が開いてることに。

嘘だ。いつからだ。いや、考えたくもない。
さっき現場を「おつかれっしたー」っとクールに去った時も、
エスカレーター乗りながら前髪をクールにかき上げた時も、
まだまだ残高余裕のモバイルスイカで改札をクールに通過した時も、

小窓は開いていたと言うのか。

冗談じゃない。
あたいは巷で噂のクールな女。今日1日そういうことでやらせてもらっていた。だいなしだ。

そもそも社会の小窓なんて、あたいが人生において気を付けていることランキング20年連続第3位。
もういい大人のはずなんだ。あたいだって。

加えて仮にもレディーだ。
もしや実は1番やらかすと恥ずかしい世代が30代レディーなのではないか。
20代ならキャー恥ずかしっ!!で済んだ。
悪あがきで小窓なんぞと表現しているがもうちっともかわいくない。普通に窓だ。

そんな思考を頭の中で駆け巡らせているうちに、通勤ラッシュのエリアは過ぎ、気付けばそれなりにゆとりある車内になっていた。

吊革はまずい!前の座席の人の目線に小窓を配置するわけにはいかない!

速やかにドアの前に移動!車内に背を向け誰の視線にも入らぬよう小窓を隠す。

しかし。ゆとりの出てきた車内において、
ドアにへばりついて立っている乗客とは違和感を生む光景ではないか。
何より小窓のパニックですっかり忘れていたが、本日の長時間稼働ですっかり足はヘトヘトだ。

座りたい。

しかしここで座ろうもんなら、小窓がいったいどんな形状になるかわからない。
限りなく細い長方形から、大胆にもひし形へと変形する可能性だってある。

つべこべ言わずにしれっと小窓を閉じるか?いやいや車内に必ず1人はあたいに注目している人がいる。
自意識過剰?誰もお前に注目しない?うるせえ注目しやがれ。売れてえ。

ん?待てよ。

はっはっは。
あたしゃ天才だね。
簡単なことじゃないか。
今てめえの持ってるそのリュック。何のためにあるんだ?
膝の上に乗せて抱えて座る。たったこれだけで小窓を隠すことが出来るではないか。

こうしてあたいは、
小窓の前にリュックという鉄壁を建築し
疲労困憊の身体を守る、
大いなる我が尊厳を保つ、
という2つのミッションを見事同時クリアしたのだ。

やるじゃないか結川。あたいも捨てたもんじゃない。
荒波を超えるエネルギーはまだこんなに残っているんだ。諦めるんじゃない。

自分の未来にわずかな希望を覚え、安堵したあたいは、着席後息つく間もなくあっという間にうつらうつらと船を漕ぎ始めた。

zzzzz。

結局。
小手先で建てた鉄壁など鉄壁ではない。
先ほどの小さなプライドを守りたいという欲を遥かに凌ぐ大いなる睡眠欲で支配されたあたいの船はあっという間にリュックという鉄壁を崩した。

ンガっ!

崩れる鉄壁リュック。
晒される小窓。
いくら寝ぼけていたってわかる。
あたいは今何かを失おうとしている。

そして晒された小窓をすり抜けていく冷たい視線の風、




などなかった。

要するに車内に人などほぼ残っていなかった。
遠くの方で同じくいびきをこく初老の男性。
誰も見てなどいなかったのだ。

あたいは結局何を守りたかったのだろう。
誰も注目すらしない、誰も知らないプライド。こんなものを守って何になるんだろう。



何にもならないさ。
何にもならなくていいんだ。
あたいはこっそり守りたいんだ。

守ったって何にもならない
守らなくったって何にもならない

そんなものを大事にする瞬間が1番自分らしくいられるんだ。
時には守れない時もあるけど、
そうやって生きていくのさ。
みてやがれ。

そうしてあたいは人気のない車内でこっそり小窓を閉じたのだった。




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