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緩和ケア病棟の今際の時でもトンデモ家族

義兄が亡くなった。
2月9日17時57分に最後の一息を吸い込んで、その後呼吸することはなかった。

私は、スマホのストップウォッチを押して、1分測っていたが、1分過ぎても呼吸が戻らず、「あれ・・・?」っと思っていた。
1分30秒を経過しても次の呼吸が無かった・・・亡くなったのだと思った。

話は遡る。
2月9日3時、携帯が鳴った。姉からだ。
「病院から電話があった。よろしくお願いします。」
いざというときの段取りは決めてあった。
姉の近所に住む同僚が姉宅に来て一時留守番をして、重度障害の姪を見てくれる。
うちの娘が、母を車でピックアップして姉宅に向かい、姉の同僚を開放し、そのまま母と姪をみる。
私は自転車で病院に駆けつけ、車で来る姉と合流する。

ほぼ段取り通りだが、姉が「5分遅れても状況は変わらないだろうからと、私を車で迎えに来ることになった。

病院に着くと、義兄は酸素マスクをつけ、浅い呼吸をしていた。
血圧は70−50。昨夜は80だったという。
「これからどんな状態になるのでしょうか?」
「だんだん呼吸が遠くなって、暴れる場合もありますが、そのまま静かになることもあります・・・」
暴れることなく、静かに最期は迎えていただきたい・・・。

末期がん、積極的な治療は望まない患者の入院する緩和ケア病棟に入院したのは4日。7日の夜に目の反射がないのでそろそろ覚悟をと医師から告げられ、姪のヘルパーが泊まり込み、臨戦体制に入ったが7日の夜は何事もなく明けた2日目。
病院についたのが4時「おとうさん来たよ〜」と姉が声をかけるが反応はない。
義兄を挟んで姉と話をした。義兄の故郷北海道の話。義兄の生い立ち。思い出等々しながら、その時を待った。

7時前、ヘルパーさんに連絡をして姪のケアを依頼する。母と娘は一旦帰ってそれぞれの日常を過ごすよう段取りをつける。これで、夕方まで姪の心配はない。

ところが、今際の時を覚悟して来たが、義兄の状態も変化がなく、緊張感がだんだんと溶けてしまい・・・話すこともなくなり・・・、これからに備えちょっと休もうかと病室のソファーに並んで、置いてあった掛け布団をかけ、義兄を見守る・・・。

8時すぎ、看護師さんが血圧を測る。76。少し上がっている。看護師さん。
「もうすぐ面会時間になりますが、このまま付き添われますか?それとも、覚悟の上で一度帰れると言うこともできますが・・・」
「???」「どんな状況ですか?」
「ご本人の体力次第ですが・・・この状態で数日過ごされる方もいらっしゃいますし、状態がすぐ変わる場合もあります。」

コロナ対応で、面会は1日に2回まで、一度に2名までとの決まりがある。
病院からの呼び出しはカウントされない・・・。

姉と顔を見合わせる。朝ごはんを調達して病室に戻るか?と思ったら病室での飲食はできないと言うので、まずは、病院に近い我が家に戻ることにした。

1階に降りると病院のカフェが既に開いていたので、モーニングを食べることにした。姉は「食欲ないと思ったけど、食べられるもんだね」と言いながら、ホットサンドを平らげコーヒーを啜っていた。
駐車場に向かいながら、姉が「あのままだと、なんか、死ぬの待っているみたいで悪い気がしちゃう。」とつぶやく。
・・・そう、今際の際なんだからそうなんだけど、急かすようなのはちょっと違う。「そうだよね・・・」とふたり、複雑な想い。

我が家に帰っておこたに足を突っ込み横になる姉。
家では、姪の介護で夜も緊張感無く寝ることはできないだろう、何も気にせずに眠れるといいなと思う。
私は、せっかくだからと洗濯、流しに残っている食器を洗うとすでにお昼。
姉も目覚めたので、おでんを温め、おにぎりを作って食べる。
朝行けなかったので、犬を散歩に連れていく・・・。こんなにのんきににしていていいのだろうか…?

「さて、これからどうするか・・・」
叔母が姉宅に行こうかと言ってきた。今際の際にのんびり過ごしてしまっていると言うと「これからやることたくさんあるのだから、今はのんびりして、体力を温存してていいのよ」と言う。さすがトンデモ家族の先輩言うことが違う。

次の予想される展開に段取りをつけなければ・・・。

18時にヘルパーさんを解放するために、叔母と母を姉宅に待機願うためには・・・。母を迎えに行き、泊まり用の布団と共に姉宅へ一旦帰る。
銀行で当座の現金をおろす。
病院に戻り義兄の様子を確認して、付き添うか一時帰宅するかまた考えるという段取りを取る。

病院に戻る途中で豆腐屋の前を通ると姉が「そうだ、ばあちゃんにおいなりさんを作ってもらおう」と突然言い出し30枚の油あげを購入した。
「他の材料あるの?」「何?人参はある他は?」「はす、ミツバ、干し椎茸、胡麻」「ない、買っていくか?」とそのままスーパーに寄ろうとする。
「いやいや、帰りでいいんじゃない?」「そうか・・・」と、何故今おいなりさんか?素なのか混乱しているのか測りかねる。

病院に戻ると、看護師さんが「落ち着いてます」という。
このままであれば、一旦帰るかと、義兄の様子を見守りながら話していると、夜の担当看護師さんが状況を確認に来た。呼吸が1分に30回。
「1分間に4-6回とかになったら、ご連絡するようにしましょうか」と言う。

干潮の17:21を過ぎた。18:00には間に合わないが、おいなりさんの材料を買って一旦それぞれ帰って、夜中に呼び出されたら、また集合するか…と話しているうちに、義兄の呼吸の感覚が少し長くなってきた。
姉が声をかける。

少し大きく息を吸い込んだので、呼吸の間隔を測ろうとスマホのストップウォッチで測ろうと思いついたのが、冒頭のくだり。

姉が、トントンと叩きながら話しかける。
「もしもしおとうさん。息するの忘れてますよ〜!」
…???ここで起こす?
しばらく、体とか頭とかトントンしながら声をかけている。

姉が「よくがんばりました。」と言ったので…。

「息が止まったみたいです」と、看護師さんを呼びに行く。
色々とチェックをして、「呼吸も脈も無いので、先生を呼んできます」と、程なく医師が死亡を確認。18時15分。

介護が必要な娘がいるとはいえ、このまま帰られてはと、義兄が自ら幕引きをしたのではないかと思える。最後は姉に看取られたいと願っていたのではないだろうか・・・。

ヘルパーさんは、その後姪を寝かしつけるまでやってくれるとの事。ありがたい。
ばばあずがふたりいても、姪のおむつ交換もできない。ヘルパーさんの事業所でも、姪を抱えておむつ交換できる人は彼だけだ。

病院の業者が霊安室に運ぶので、業者が来るまでに、葬儀屋さんの手配をするようにと言われ「葬儀屋どうするの?」と聞くと「何も考えてない」と言う。区民葬とか生協とかあるよと言うと、近所の葬祭ホールが良いと業者をしらべ連絡をする。現在、混んでいて迎えに2時間かかると言う。

2時間も待つなら、先に買い物済ましちゃう?と言う姉に、流石にそれはまずいだろうと引き留め、霊安室でまんじりともせず過ごす。
「おとうさんは、肉体から解放されて、きっと家に帰っちゃってるんだろうね。それとも、お姉さんのそばにいたくてここにいるかも…。」
と言うと「それは無い!もう娘を看に帰ってるでしょう」と姉。

やがて葬儀屋が来て、義兄を預けて病院を出ると21時を回っていた。
スーパーでおいなりさんの具材を購入。
お腹がすいたとリンガーハットへ。あれ?やってない。蔓延防止で早終い。

あれ?財布が無い!出た!こんな時にポンコツ事件!スーパーへ逆戻り。
サービスカウンターに行くと、ちょうど拾得届を書いていた所。「財布を忘れて・・・」と言うと「身分を証明するものはありますか?」「その財布の中です・・・」マヌケだ。
その場で財布を返してもらい、事なきを得る。荷物を入れるのに、台に置き忘れたのだと思う。ちゃんと財布を届けてくれる安心安全な日本を実感。良かった!こんな時に姉を財布紛失騒動に巻き込まずに済んだ…と、ひと安心。

自宅に送ってもらい、またまた残ってるおでんとおにぎりを食べてこたつで意識を失う。

明日は、葬儀屋との打ち合わせ。これからどうなることか・・・。



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