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観音寺21番秩父札所からの江戸巡礼古道で旧童子堂跡を通り音楽寺へ

歩き巡礼、徒歩巡礼の人にとって江戸古道は人気です。特に、尾根道を歩くという札所21番からのコースは人気なのです。

ハイキングコースみたいな感じだからでしょうか。

人によっては、札所19番の龍石寺から歩く、という人もいますが、今回は21番の観音寺からスタートです。

一度焼けた観音寺の本堂

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二十一番目、という石碑が出迎えてくれます。これは公衆トイレの隣にありました。

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札所21番観音寺はコンパクトな境内の寺院です。またの名を矢之堂とも言います。

県道72号線に面していて山門のようなものもありません。

火災で焼けても観音様は火を免れた

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立派な宝篋印塔です。江戸中期のものと言われています。これが県道沿いに立っています。

コンパクトな札所21番ですが、実はこの観音寺は近隣の火災で焼けてしまって廃寺を移築したものなのです。以前はもっと大きかったとか。

ご本尊の聖観音様はその火災を奇跡的に免れたので、火除観音とも、火伏観音ともいわれます。

矢之堂とも呼ばれる観音寺札所21番

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こちらの観音寺は、矢之堂ともいわれますが、諸説あって、氏神様の八幡大菩薩の放った矢がここに落ちたから、ヤマトタケルノミコトが東征の時に矢を納めたから、平将門がここに矢を納めたから、秩父群矢納村にあったお堂が移築されたから、などと言われています。

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地元の人が手作りしたという「お猿のお守り」がありました。安産、子育ての祈願にお供えしたものだそうです。

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弁才天と馬頭尊だったか。古い石碑がありました。

他にも百万遍唱念塔もあるそうです。

桜の花が咲いていた時期に行った時の記事はこちら


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県道のお向かいには中村十九十郎のお墓があります。「田舎千両」とも言われたそうなので、人気の地元俳優だったのでしょう。地元歌舞伎なのかな。

このそばにも、心求はまの道標石もあります。

江戸古道へスタート

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県道に沿ってあるいていくと、文化4年(1807)の馬頭尊の石碑がありました。

その先を右に曲がると江戸巡礼古道です。

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薬師堂の公民館の建物があるので、すぐに右に曲がると見えないのですが、裏手に薬師堂があってお地蔵様が並んでいました。

薬師堂のところを右に曲がって住宅地へ

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最初は住宅地のところを歩きます。

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珈琲のお店などありまして、ここを抜けるとすぐに森のような場所になっていきます。

旧童子堂の跡地へ

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脇道の山の中に入るような道路(舗装されている)を歩きますと、その先に三叉になっているところにあたります。最も右の道路が旧童子堂への道です。

元禄15年(1702)から明治43年(1910)までここに札所22番はあったのです。

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本来はここより北へ百メートルほどのところに童子堂が建立されていたそうで、それが元禄15年にここに移されてきたとのこと。

それが現在は、県道のほうに移っているのですから3度目の引っ越しでしょうか。

奥の院の跡や礎石があるらしいのですが、草木がぼうぼうでわかりません。

旧童子堂は以前に来た時もまわりを歩いてみたのですが、跡地らしきものがよくわかりませんでした。

その時の記事(夏に別の道を通ってはじめて童子堂跡に行っている)


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旧童子堂があった跡地を確認してから、先程の三叉のうち一番左、山道のほうを歩きます。

そばには延命地蔵尊像がありました。


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このように江戸巡礼古道と書いてあります。まずは、札所23番の音楽寺(23番寺)を目指します。

ここに書いてある22番童子堂は旧童子堂のことでしょう。

V字にえぐられた細い道を雪道のように歩く

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最初は土の道でそれほどでもないなと思っていたのですが、すぐに難所のひとつとわかりました。

逆光でわかりにくいですが、枯れ葉がこんもりと積もっています。

道はV字型にえぐられた場所を歩くことになります。ここ一帯は、直坂(すぐさか)と呼ばれる場所です。

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Noteに写真をアップロードするとなぜか、順番が変わってしまうのですが、最初は土の道で歩きやすいのですが、すぐにV字のえぐられた道です。

雑木林の中を歩きます。

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枯れ葉がたくさんありすぎて、見えないのですが、V字になっていて、歩ける場所は意外と狭いです。

そのうえ、この枯れ葉がくせ者で、一足進むごとにかなり下まで足が落ちます。枯れ葉だけみて歩いていると、ズボズボと落ちていくことに。

一見すると歩くのが簡単に見える道です。

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いきなり倒木で、道を遮られてしまいました。

下を潜っていきました。その時もかなり枯れ葉の部分が下に沈んでしまい、まるで雪道の中を歩いているような感覚です。

その先は雑木林から竹林へと。

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なぜか竹やぶがありました。竹やぶだと比較的枯れ葉の積りも少なくなりました。台風の影響でもあったのか、かなり乱れた竹やぶです。

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それでも道が見えないほどの枯れ葉の量です。V字にえぐられた道であることがわかるでしょうか。足を取られてやすいので、雨の日、雨の翌日は注意が必要です。

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ここも写真の順番が入れ替わっています。

枯れ葉だらけの歩きにくい道を通り抜け坂道を上るとこのような景色が見えます。

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先程の写真の手前の様子です。ここも枯れ葉ばかりですが、V字にえぐられた細い道よりは比較的歩きやすくなります。

まだ上があるのだとわかります。

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先程の写真のような、眺めの良い道へあと一歩のところです。順番が変わってしまってアップロードされているため、ここではまわりは木ばかりです。それでも「巡礼道」の札があるので道が間違っていないことがわかります。

雑木林と竹林を通り抜けると眺めの良い道

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上の尾根道に出たところです。江戸巡礼古道で「長尾根みち」と呼ばれるところです。

23番寺と書いてある音楽寺を目指します。

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途中には、すすきの群生地のようなところも通りました。道はわかりやすいです。

メープルの森は整備された道

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しばらく歩くと、「メープルの森」という案内板を見つけました。

そういえば、秩父ではメープルシロップを売っているところがあると聞きました。

メープルシロップというよりも「カエデの樹液」で、私が見たのは細い瓶詰めで透明な液体でした。

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先程のV字にえぐられた道がうそのように整備されて景色のいい道になります。

遠くに武甲山とミューズパークへ渡るためのハープ橋が見えました。

手前の金網フェンスは、鹿の食害を防ぐためだそうです。そういえば以前に行った32番法性寺の近くのシュウカイドウも鹿に食べられてしまった年があったとか。けっこう鹿がいるのですね。

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NPO法人秩父百年の森の人々が整備していただいているからこそこうやって通ることができる道です。

メープルの木も伐採したりして整備されています。

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休憩できるような場所も設けてありました。

そのそばに、「ハチに注意」の文字が。

きっとスズメバチがいるのでしょう。晩秋というか、冬のはじめだったので、ハチはいませんでしたが、夏に通る人は気をつけましょう。

その先は杉木立が続きます。


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しばらく杉木立を歩き、杉木立が終わるかと思うところの先に先に建物とお地蔵様が見えます。

十三権者の石仏は桜の木の下に

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このお地蔵様に見える石仏ですが、十三権者の石仏です。桜の木の下に立っています。桜のころは写真を撮るのに絶好の場所です。私も桜の頃に行ったことがありますが、1週間ほど早くてツボミばかりでした。

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真ん中にひとつ、大きめの石仏があって、十三の石仏が七体と六体あって合計十三です。十三権者とは札所13番の慈眼寺でも知ることができますが、秩父札所を決めて開設した人たちです。

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1234年という覚えやすい数字の年に秩父札所が決められました。

実際にはもう少し後なのかもしれません。妙見大菩薩、蔵王権現、善光寺如来、熊野権現、閻魔大王、具生神、花山法皇、白河法皇、徳道上人、性空上人、医王上人、良忠上人、通観法印というどうやって集まったのか、よくわからないメンバーです。西国札所でも聞く名前もありますね。

最初に来るのが妙見様、秩父神社に祀られていた妙見菩薩がトップに書かれています。

秩父の札所を開設した時に松風の音を聞き、菩薩の音楽と感じたので、23番の音楽寺は、山号を松風山、寺号を音楽寺としたそうです。

音楽寺の別建物の前には曲名にちなんだ草木あり

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今でも音楽関係者はこの音楽寺にお参りするそうですよ。観音堂のそばにはポスターもいろいろ貼っていて、ヒット曲祈願に来ているようです。

こちらの十三権者のところの建物前には木々が植えられ、ヒット曲にちなんだものがありました。「さざんかの宿」なら、山茶花とか。「くちなしの花」ならくちなしとか。

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こちらは江戸古道(長尾根みち)と明治古道からの道との合流地点です。いったん、舗装された道がありました。以前には、こちらのほうから登ってきたこともあります。

音楽寺から上って来た人はここから十三権者の石仏のほうへと行きます。

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ということで、ここからの土の道は、音楽寺から十三権者の石仏方面に上っていく人、私のように江戸古道の長尾根みちから来た人が下っていくみちになります。行ったことがないですが、舗装された道のほうは、ミューズパークへ行く道かと。

ここも土の道で、枯れ葉があるので、慎重に降りました。とはいえ、一回、ズルっとなってしまい、もう少しでしりもちをつくところでした。

この先に音楽寺の観音堂の屋根が少しだけ見えます。音楽寺の観音堂が見えてきたので、今回はここまでにします。

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