綺麗と言われることについて改めてまとめてみた。

アルビノ・エンターテイナー粕谷幸司さんのこの動画を視聴した。アルビノの話題で結構な頻度で出てくるこの問題。正直なところ、私の結論はそのアルビノの当事者がアルビノをどう捉えているかとその人との関係性の問題じゃない? と考えている。私は、信頼している友人に綺麗って言われたら嬉しいけど、見知らぬ人に綺麗って言われてもそれほど嬉しくなかったりする。だが、アルビノあるあるでもあるんだ。見知らぬ人に綺麗って言われるとか触られたとか聞く。

では、他のアルビノ当事者達は「綺麗」とか言われることをどう受け止めているのだろうか。ネット上で見られる記事を集めてみよう。

先ほどの動画にも出ていた粕谷さんと、神原由佳さん、そしてYouTuberのよききさん、朝日新聞の岩井記者がアルビノについて語っている動画。神原さんと粕谷さんそれぞれにアルビノに対する考え方が違って、興味深い。アルビノを綺麗と言っていいのかという問題以外にもいろいろ話しているので是非観て欲しい動画だ。

こちらはYouTuberのよききさんが「アルビノになりたい」と動画を作ったことで炎上した後に出た記事。粕谷さんの「かわいそうと思われるのが当事者の痛みになる」という言葉に頷きながら改めて読み返した。

こちらもよききさんの炎上の後に出た記事。社会学者の矢吹さんがインタビューに答えている。綺麗だと言うだけでなく、アルビノを取り囲む差別や生きづらさについても考えて欲しいという意見。これもわかるなあと思いながら読み返した。

そしてこれは約半年前の私の結論。この頃トゲトゲしてんな~と思いながら読み返した。まあそりゃそうか。絶賛就活うまく行ってないのがどうにかこうにか繋ぎの仕事が決まったとかそれくらいの時期だものね。納得のトゲトゲ。

きれいって言っていい、いけない、というどちらかが正解ということはない。考え続ける他ないのだ。

その人や状況によって違うから、相手を見て、考え続けるしかない。それが答えだ。

こう答えると、「アルビノ面倒くさいな……関わらんとこ」とか「じゃあ一律に何も言わないでおく」とかいう結論になる人がいる。アルビノじゃなかったら私もそっち側だったかもしれない。真剣に話してくれている人を複雑だからとか考えるのが面倒だからとか、そういう理由で避けてしまっていたこと、とっても身に覚えがある。

でもそうやって関わらないことを決めたり、思考停止に陥ったりしていることが、差別を助長しているのだ。関わらないために例えば自分の店では採用しないとなれば、それは立派な差別だ。

勿論、プライベートでまで積極的にアルビノのことを知ろうとしたりしてくれとは言わない。それは度が過ぎた要請だ。勿論興味があったら知って欲しいし、正しい情報は提供したい。

アルビノのことを知りたいと思う入り口は何でもいい。アニメのキャラでもモデルさんでも、それこそYouTubeでもいい。綺麗な現実とそうでない現実と種々取り揃えてお待ちしています。

執筆のための資料代にさせていただきます。