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情報断食感想文→目的と効果

去る10月7日に情報断食をしてみました。TVやラジオ、新聞は元々見ない習慣。プラス携帯電話の電源をオフ、ラップトップは箱に入れてクローゼットに入れる。したことは、部屋の片付けや家族と食卓を囲むこと、それと少しだけの読書。その時の私の心持ちや翌日の気持ち、気づきをシェア。

【情報断食をする、のきっかけ】

さて、まずなぜそんなことを実施したのか?
ある種の人体実験を含む。
私は、HSPで更にエンパスです。
アンテナの本数と精度はちょっと過剰気味。
周囲に気づかれないよう?知らんぷりや気付かないフリを日常的にしている。
そもそも拾いすぎで疲労、気付かないフリを自然に振舞うのにも相当の努力を要し、疲労。
コントロールが難しい、ならば!
少しでも断てば、ラクになるのか?
なんでもすぐにネットに流れる、スマホを触る、そんな環境をシャットダウンしてみたらどうなるのか?
と、期待と好奇心とを込めて。
今、それをしても良い状況であるという環境にも恵まれているので。
ゲーム感覚でやってみようかな、と。
数秘の本にも、「7」の箇所に情報遮断のことが書かれていたので、ということもきっかけの一つ。
1日だけです、やってみましょ!

【当日の私の行動や気持ち】

スマホとPCを持っていない頃の生活を粛々と。
それ以上でもそれ以下でもありません
朝少しだけ読書。
それからは1日、部屋の本棚を全部整理整頓、断捨離も兼ねて。
家族と食卓を囲みます(家族はTVもラジオも流す習慣があり)。
空気清浄機以外の電化製品はオンにしません。
音楽が欲しければ、自分で歌えば良いのです。
なかなか、楽しい。
お別れを決めた本たちに感謝の気持ちを伝えます。
絵本や写真集や漫画の中身を少し見てみたり。
素敵な言葉や風景写真や動物写真に心動かしたり。
時々、窓から空や山を眺めたり。
1日の時間の流れを、自然光や匂いで感じたり
焦りもざわつきも人との比較も何か起こった事件ですら、全てが私の世界から一時的に切り離され、私は私の世界にただただ在るということを感じていました。
素敵な流れの中で、呼吸をして自分を見ていた、そんな1日で。
なんてことはない、お片付けの1日、浴びる刺激はグッと少ない。
スマホもPCも電源オフでクローゼットに入ったまま、私は眠りに就きました。

【翌日の気持ち、感じたこと】

ふんわり優しい眠り、ゆっくり眠れた感覚。
起きてすぐ、携帯の電源は入れずに。
窓を開けて雨を感じ、日課朝ヨガ太陽礼拝をしてお水をコップ1杯飲む。
携帯の電源を入れて、あは、やっぱりな、の通知の数の多さにふっと息を吐く。
うん、無駄な通知もたくさんあるな、メルマガとかLINEとか不要なものがなんて多いのか、と思いにふける。
大事だな、と思うメッセージを読み、ニッコリ返事を返す。
メッセージを送りたい相手がふっと思い浮かび、心を伝えたくなる。
家族におはようを言い、食卓を囲む。
あ、生活ってこんな感じ。
シンプル、私を振り回すものなんて、本当は何もない。
ただ、毎日思いや観念や環境に囚われ過ぎているんだな、て。
必要な情報をキャッチすることはもちろん大切ではあるけれど。
こんなにこんなに多過ぎる情報を、自分の思うように選択してコントロールをすることって、容易ではないのだな。
そんな毎日に、自分が思っているよりも自分は疲弊しているのだな。
と、まぁ、予想してはいましたが。
気持ちの良い情報断食でした。
人間は、放っておくと何でもかんでもすぐに忘却します。
せっかく感じた私らしい感覚を忘れたくないので、アウトプットさせていただきました。
でも、文章に1度連ねただけでは、結局あまり変わらないから。
今後も毎週1日を最終目標にして、せめて月に2回はしてみたいな、状況が許す限りは。

【情報社会というか携帯電話依存症?】

もうずっと前からすっごく気になっていたこと。
電車やバスで、ほぼほぼの人が携帯電話と見つめあって過ごしていること。
カフェやランチの時、お連れの方がいるのにそれぞれの接している相手は目の前のお連れ様ではなく、携帯電話であること。
カップルや家族や友人ですら。
奇妙な光景だと感じませんか?
私は、誰かと過ごす時は基本的に、携帯電話に触れません。
重要な電話連絡や、携帯内の写真を相手に見せたい時だけが例外です。
だって、携帯電話と遊ぶのならば、目の前の人と一緒に居なくていいということと同義な気がするから。
なので、一緒に過ごす人が常に携帯を触り、あろうことかゲームなどをしていると、私は消えてもいいと思いますね。
相手は何気なくしている、というところがポイントです。
悪気はないのでしょう、なぜなら習慣だから。
その習慣の鈍感さが、ものすごく不気味だと感じるのです。
一人で過ごして、好きに携帯電話に触ってればいいのではないか、と思います。
一緒に居る意味がない。
私の感覚は極端なのかもしれませんけどね。
疑問に思わず、習慣でそんな行動を表出することが、人と人とのリアルのつながりを希薄にしている気がする。
メッセージの返信をすぐに返さなくても、例えばそんなに頻繁に電子機器を介したやりとりをしなくても、つながれるのに。
そして、つながりたい相手がそばにいるのに、心を相手にかけないないなんて。
なんだか、意図がわからなくないですか?
私も自分自身の心情や言動に矛盾を抱えてはいますけれど。
誰かとリアルで同じ時間や空間を過ごせる時は、相手とのそのひとときを大切にしたいです。
コロナの影響で、中々以前のようにはリアルで好きな人たちと会えないけど、でも。
一度できたつながりは消えない、築いてきたものだから。
けど脆くて壊れやすくて、だから大切でいとおしくて、宝物みたいにそっとそっと心を注ぎたい。
そう気づいてきたものだから。
物理的に離れているときや対面がかなわないとき、電子の何かでつながれることに、もちろん感謝もあるけれど。
大事なことは、大事に。
言葉も行動も整えて、大事を伝えられる自分でいたいから。
なんてことを、感じたりしました。

【まとめ】

いつもとちょっと習慣を変えてみて。
それで、改めて気づくことがあるんだな、って。
なんだかいいな、と思いました。
スマホやPCや電子でのつながりを全否定している、てことではなく。
自分の在り方や感じ方を再認識。
大事にしたいことは何かな、と自然に感じること。
しかも、普段日常的に情報が多過ぎて振り回されている自分にも気づく。
本当に大事なことや必要なこと、って実はたいして多くないのかもしれませんね。
うん、なんだかステキな1日でした。
もしあなたが、何かに圧迫されて頭がパンパンになっていてとっても疲れているのに眠りの質が良いものではないのなら。
1日の中の数時間でもいいので、情報断食、いかがですか、試してみては?

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
あなたの生きづらさが少しでも柔らかくなりますように。
昨日よりも今日、今日よりも明日、きっとあなたにとって良い日となりますよう。
感謝を込めて。


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