当事者意識がない夫による妻のストレス
今回の記事は半分以上が愚痴だ。五歳と四歳の子供を持つ在宅ワーク妻が夫への愚痴を吐き出したくて取りかかったようなもの。
補足しておくが夫はまったく家事育児に無関心というわけではない。また家事に対して完璧も求めない。
わたしが「今日は疲れたから台所に立ちたくない。晩ご飯のおかずなんか適当に買ってきて」と言えば、スーパーやコンビニに行っておかずを買ってきてくれる。ついでになんか甘いものも、と言えばプリンを買ってきてくれるような夫だ。
早く帰ってきてくれた日は肉体労働で疲れていても、子供たちをお風呂に入れてくれる。
だから決して家事育児に無関心ではないのだ。
ただ、当事者意識がないだけで。
それが顕著に出るのは休日だ。
平日は本人も会社勤めで大変なのは、夫に限らず世のサラリーマンなら全員そうであろう。朝は七時半前に家を出て、家に帰ってくるのは定時で上がれれば六時前。
しかもうちの夫は夏からずっと忙しくて、この二ヶ月半ほど毎日残業ばかりしていた。七時に帰ってこられれば早いね、八時は普通。九時過ぎだと今日は遅かったね~という感じだ。
夫の帰りが遅ければ当然妻であるわたしのワンオペ時間は増える。夫が七時より遅く帰ってくれば、子供たちのお風呂もわたしの仕事に追加される。
どちらもおむつで言葉も通じず、片方は偏食の気が出てきてご飯を食べない一方、もう片方はミルクを求めて泣き叫ぶ、なんて時代もあったから、「お腹減ったの? じゃあそこにあるチョコパンでも食べときな」と一言言えば済んでしまう今は、ワンオペ育児と言ってもそこまで大変なものではなくなってきた。
それでも毎日毎日子供の要求に振り回され、作った飯を食われずお菓子ばかり食べられ、やれどっちが手を出してきて痛いだの、やれどっちがタブレット取ったこっちが見ていたのにだの、そういうのをいちいちいちいち一から十まで報告される現状は、それなりに大変だとお知らせしておきたい。
とにかくそんな毎日なので、休日に関してはそりゃ夫も休みたいだろうが、妻だって休みたいというのは紛れもない本音だ。
まぁ休みたいとは思わずとも、せめて朝、妻より早起きしたのなら、洗濯物を洗濯機に放り込んで、洗剤を入れてスイッチを押す、くらいのことはしておいてほしいと思うのだ。
これに関してはこれまでも何度か夫に言ってきたことだ。干すのはわたしがやるから、洗濯機を回しておいてほしい。そうすればわたしは起きてすぐに洗濯物を干せるから、と。
「全自動乾燥機付きの洗濯機買えばよくね?」というごもっともな意見も聞こえるが、それなりに大きい機械なので、賃貸アパートの二階に置くのはなかなか勇気がいる。
それにわたしは在宅ワーカーだ。基本的に自宅で仕事をしているぶん、外で働いているワーママに比べれば家の仕事をする時間もあるので、無理にして買う必要はないのでは? という結論に常に至るのだ。これはルンバや食洗機にも同じことが言える。
とにかく、洗濯機は一回回すだけでも40分はかかる。うちは夫の作業着とそれ以外の服を別で洗っているため、洗濯物を干すまでの待ち時間は最低でも80分だ。
夫がボタンをポチッと押して、最初に洗った作業着を取り出し、その他の衣服を洗濯機に放り込んでまたボタンをポチッと押してくれれば、わたしはスムーズに朝の家事に取りかかることができるわけなのだ。
もちろん夫も疲れていて、前日寝るのが遅くて起きるのも遅くなった、というならそこまでのことは望まない。わたしより早く起きてゲームなどをやっているなら、トイレに立つときのついでにポチッとやっておいてほしい、というだけのことなのだ。
正味一年前から同じことを言っているのだが、その願いが叶えられたことは一度か二度、あるかないか。今朝もわたしはのんびり九時に起きてトイレに立ったが、洗濯機は沈黙を保っていた。
「夫氏よ、洗濯機回してくれたかい?」
「あ、忘れてた」
「あ?」
とは今朝の我が家の会話である。夫も前から言われていたので忘れていたことへの負い目があったのだろう。すぐに「ごめん」と言ってきたが、だからといってじゃあ洗濯機の元へ駆け寄ってきてポチッとしたかと言えばもちろん違う。そのままゲームをやっていた。
なのでわたしが洗濯機を回し始めた。で再び布団に戻ってぬくぬくとタブレットからニュースを見たりしているうちに、40分が経過した。
寝室にいるわたしより、居間にいる夫のほうが洗濯機が洗い終えたというピーピー音を感知できるはずだが、まったく気づいていない。ゲームに熱中しているからである。
なのでわたしは再び起きて、洗い終えた洗濯物を取り出し、次に洗う洗濯物を洗濯機にドサドサと入れて、洗剤を入れてスタートボタンを押した。
たかだかこれだけのことなのだが、非常にイラッとした。なぜこれくらいのことができないのだ、とどうしても考えてしまうからだ。
答えは簡単だ。夫に「自分が家事をやる」という当事者意識が皆無だからだ。
確かにうちの夫は家事に協力的だ。だがそれは「言えばやってくれる」レベルのもので、言わなければなにもやらない。
ゴミ捨てで言えば、分別の仕方もゴミを出す曜日もすべてわたしが把握していて、家中のゴミ箱からすべてのゴミを集めて専用の袋に詰め、口を縛って玄関前に置いておき「今日ゴミの日だから持って行って」とお願いするまでがわたしの仕事。夫は「わかった」と言って、出勤ついでにゴミ捨て場にゴミを置きに行くだけだ。急いでいるときはこれすらやらないこともある。
おそらく奴は燃えるゴミ程度なら捨てる曜日は覚えているだろうが、資源ゴミや燃えないゴミとなると途端にわからなくなるに違いない。
「言えばやってくれる」とは、いわば「言わなければなにもしない」と同義語なのだ。
無論、夫の気持ちもよくわかる。ずっと残業続きで疲れているし、久々の休みなのだ。家で心置きなく羽を広げて、大好きなゲームを一日やりつつ、眠いときは寝て、腹減ったときはなにかを食べて、という生活をしたいに違いない。
ただ世の夫たちよ、『休みの日くらい自由にしたい』というその気持ち、妻ももれなく思っていることを忘れるなかれ。
おまえが「休みたい」と思っているとき、たいてい妻も「休みたい」と思っている。
おまえが「平日残業ばっかりで疲れた~」と思っているとき、妻も「夫が帰ってこないせいでワンオペ時間長くてストレス溜まる~」と思っているものなのだ。
なにも「だから休日は妻に変わって家事のすべてを担え」とは言わない。ただ、自分も家事育児をする務めがあることは自覚しろ。
洗濯でも掃除でも洗い物でも、妻が一人でするより、夫も協力して二人でやったほうが早く終わることは確実なのだ。
そして日常的に家事育児を担っている妻の頭には、休日にやっておきたい家事や育児のタスクが山ほど埋め込まれていたりする。
なのにそれを知らずに「ちょっとパチンコ行ってきていい?」などと言おうものなら、妻から最大の顰蹙を買い、愛情をも凍り付かせることになるであろう。
我が家のことである。
うちの娘は昨日胃腸炎の診断を受けて、今日も微妙な熱と微妙な腹痛に見舞われている。いきなり急変して嘔吐が止まらないという感じではまったくないが、それでもなにかあったらいやだなぁとそばにいる限り思うのだ。
そんな中でおまえ「特に家にいてもやることなさそうだから、遊びに行ってきていい?」と聞くとはどんな了見だクソ野郎が。
やることなんて山ほどあるわ。
風呂掃除、最近は壁や床をサボっているから男の力でガシガシ洗ってほしいと思っているし、子供が病気じゃどこにも行けないから夕飯をどうしようか相談もしたい。もし食材を買いに行く必要があるなら、ついでに下の子を連れて行って気晴らししに行ってほしいわ。むしろわたしが買い物行くから子供たちと留守番してろや。
いざ買い物頼もうと思っても「麦茶買ってきて」の一言だけでは通じない。ペットボトルで売っている麦茶か、煮出すパックのタイプか、だとしたらどの種類か、何個入りの奴か、割引しているほうか否か、などなど、そのすべての質問に答えなければならない。
これも今よく聞くようになった『名前のない家事』に付け足したい思いだ。『夫に買い物を頼むとき、ただ酢と言うだけじゃ伝わらないから、スーパーのどの辺に売っているということから始まり、正式な商品名やメーカー名や大きさや、ペットボトルタイプか瓶タイプかまで、全部伝えないと正しいものを買ってきてくれない、という家事』――嗚呼、なんというクソ長い名前の名もない家事であろう。考えただけで頭が痛い。
そして普段から疲弊しきっている妻は、この説明をすることすら億劫になってしまって、「もういいよ、わたしが全部やるから」になるのである。ザ・負のループ。それが繰り返されることによって妻から夫への愛は冷めていくのである。
というように、家事=家の仕事に対し、夫に当事者意識がないと妻は疲弊する一方なのである。蓄積されるストレスは計り知れない。
これが、たとえばちょっと目を離したら死んでいるかもしれない乳幼児を世話している最中でやられたことなら、もう妻から夫への感情は、愛情や信頼などはマイナスへと一気に振り切れ、単なるストレス源にしかならなくなるのである。
たかだか「洗濯機のスイッチを入れてくれなかった」だけでも、これだけの不満をばーっと書き切ることができるのだ。世の妻が家事育児の当事者意識のない夫に対して、どれほどのストレスと不満と怒りを抱いているかを、是非認識していただきたい。
さて、ところで午後二時現在、わたしの夫は散髪と仕事の道具を調達するため一人で買い物に出かけている。
夫が家から出た途端、それまで静かな音で動画を見たり、特になにも言わずお絵かきなどしていた子供たちが、一気にうるさくなった。
パパがいたら絶対にもらえないおかしを求めて冷蔵庫やお菓子の棚を開け閉めしまくり、わたしが出さないと言えば大泣きする。ビデオ見たいビデオ!と姉弟でチャンネル争い、パパが嫌う粘土遊びをやりたくて粘土を出し、三分さわって放り投げて片付けない。気づけば再びどっちがなにを取っただ叩いただのと喧嘩し、泣きながら報告にやってくる。無視するにしても姉弟がぎゃあぎゃあ騒いでいるのを強制的に聞かされる……。
おそらく夫が一人で子供たちを見ていたとしても、この五歳と四歳はここまで奔放にはならないだろう。どの家庭も似たような感じだろうが、子供というのは夫の言うことは聞くのに、妻の言うことは聞かない。
だからこそ、妻が休日に夫に子供たちを任せても、夫は「子供たちすごくいい子だったよ~! 全然手が掛からないじゃん。毎日なにがそんなに疲れるの?」などと平然とのたまう。
なんなら「こんないい子たちに、君は普段から怒りすぎているよ。もっと優しく接してあげられないの?」などと、上から言ってくるのである。
妻がそのとき感じる殺意を、夫はどれほど受け取っているのであろうか……。
「たかだか数時間見ていただけでイクメン気取りしてんじゃねーよ!」と妻が怒るのは、至極道理だと思うのだが。
とにかく、家事育児への当事者意識がない夫は、すぐにでも行状を改め休日の過ごし方を顧みることをおすすめする。
そんなこと言って、休日ごとに妻にこき使われるようなことになったらどうするんだ、と思われるだろうが、それは今まで自分が意識を持たなかったゆえのツケが回ってきたのだと、むしろ反省してほしい。逆にこき使われるほどたくさんの仕事があったのだということを自覚してくれ。家事というのは基本やろうと思えばいくらでもやれるし、終わりはないのだ。
それに働き盛りの今のうちから、それなりに家事に慣れておかないと、定年退職した老後に悲惨な人生が待っている。当事者意識がないまま定年し、家に居座るようになったら、妻からしたらもう粗大ゴミにしか見えなくなる。
妻がもし早死にするようなことになったら、なお悲惨だ。印鑑がどこに置いてあるかもわからない、なんて危機に瀕する前に、家庭のことをある程度把握しておくのは、自分のためにもなるのである。
日々の仕事や生活で忙しいのはわかる。だがそこから一歩踏み出し、家においても当事者である意識を持って動くことは、将来の自分への保険をかけるようなもの、投資をするようなものなのだ。
妻に粗大ゴミと思われる未来など、どの夫も望んでいないと思う。
妻もまた、夫には家事と育児、日々の生活を共に歩んでほしいという願望がある。
そのためには、妻が出す些細とも言える要望くらいは聞いてあげてくれ。
具体的に言うのなら、我が家の場合「夫よ。休日に早く起きたのなら、洗剤を入れてスイッチを押して洗濯機を回しておいてくれ」。
その一言に、この記事はとにかく集約されるのである。
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