生きるための食事の話👾

みなさま、おちゅかりさまでございます。
春藤ゆかりです。

前回の記事では自分語りをしたのですが、今回は思想強めなことを書きたいと思います。

というのも、思想強めな文章を書きたかったからnoteを始めたようなものですから。

……

春藤ゆかりさんは、基本的に元気です。
いつも陽気にアロハシャツを着ています。
羨ましいですね。

しかし、わたし(中の人)はずっと元気なわけではありません。
人間ですし、落ち込むときもあります。

今日は正直、落ち込んでいるほうなので、この気持ちが新しいうちに書いてみたいと思います。

わたしは、ストレスが溜まるとご飯が食べれなくなるタイプです。
人によっては暴食に走る方もいるとは思うのですが、わたしはその方々とは逆です。

要するに、生命維持活動をやめたくなるんですね。
かと言って、手首を切ったり、包丁で自分の腹を刺したり、自傷行為をすることはしません。痛そうですし。
痛みを感じることって、実際は生命維持活動の一環ですよね。
生きている心地がしなくて、でも生きたいからやることだと思っています。知らんけど。(伝家の宝刀)

生命維持活動をやめていると、だんだん無になってきます。
このまま消えてしまうのではないか、むしろ消えていきたいなという気持ちが生まれてきます。

でも、その無を有にしてしまうものがあります。
それが食欲です。

それで今日、ちょうどあまり体調が良くなく、気分も落ちており食事をとっていなかったのですが、
さすがに夜になるとお腹が空いてきて、母の握ったおにぎりを口にしました。

それが美味しいのなんのって。
その気持ちと同時に、どうして人間は食べないといけないのだろうと、人間の生理現象に対する憤りと、生命体としての脆弱さを微小ながらも感じました。

わたしは、もし食べなくても生きていけるというなら食べません。
食事という時間があれば、別のことをしたい程度には。

ただ、味を感じたり、食感を楽しむという行為はそこまで嫌いではありません。
それと生きるために必要な食事とはまた違うと思います。

簡単に言うと、食事はたまにで良いのです。
そう思っているのに、摂らないと死んでしまうということにうんざりするというか。

世界には飢餓で苦しむ人達がいるというのに、贅沢な悩みかもしれません。
人間から食事という生命維持行為が必要なくなれば、飢餓なんて起きませんから…

人間、やめたいよなあ。

かつて天上にいた頃は…という話をしてしまうとさらに思想強めになってしまうので、この辺にしておきます。

それではまた。

春藤ゆかり(の中の人)👾

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