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自分の居場所を作ること。

「居場所」という言葉の意味はいくつかある。所在地だったり、一時的に居られるところだったり、心の拠り所のような意味もある気がする。

学校が休校になったことで、子供の居場所をどうするかが問題となる。
「新型コロナウィルスの感染を防ぐための、自宅学習期間です」という文面で周知されたが、学校という居場所を奪われたことが経済にも影響を及ぼしている。

一足早い春休み状態となった我が家の高校生男子。

もともと出不精なので、家からほぼ出ない生活をしている。運動不足になるから近所をジョギングするのも悪くないのだけれど、花粉症が酷くてとても勧められない。笑

もともと学校から出されていた課題があったが、先日、さらにメールが届いた。どうやら倍くらいの課題の追加があったらしい。本来、授業でやるべき部分が残っているわけだから、止むを得ないにしても、突然の休校というのは先生にも生徒にも影響が大きい。

大きい声で愚痴ってきたので、大きい声で「たいへんやなー」と感情のこもらない返しをする。あきらめ顔で部屋に戻って数時間後、バスケットボールを手に再び私のところに来る。

「バスケしてくる」

嬉しそう。

中学時代の友達と、一つ下の後輩と、近所の公園でバスケをしに行くらしい。久しぶりだ。一つしたの後輩くんは、この前まで受験生だった。

「行っといで」

嬉しそうに出かけて行き、夕方いったん戻って、また出かけていく。今日は3人で一人のお宅にお泊まりさせてもらうとのこと。

高校生になって、少し大人っぽくなってきたかと思っていたけれど、こんな時の彼は、小学生の頃と同じ笑顔になるといつも思う。


自分の居場所を作ること。


家にこもりまくっている彼なのだが、春から新2年生になるので今後の進路も気になるらしい。考えを深めるための材料をいろいろ提供したり、深掘りしてやることも多い。

進級したり、進学したり、就職したり、もしかしたら就職しなかったり・・・

いろいろな選択肢であり結果がこの先待ち受けている。

そこにあるのは「居場所」だと思うことがある。
自分が選択したことの結果である「居場所」で、人間は生きていかなければならない。「〜ねばならない」と書いたが、とりあえずだとも言えよう。

望んで行動すれば、いくらでも流動的に変化させられるが、それもまた選択した結果として「居場所」に到達する。

それから、そこで何を学ぶか。何をするか。何を生み出すかだ。

この、「選択しようとする時」や「結果に到達するまで」の状態が、いちばん悶々として苦しいのかもしれない。

次なる居場所に到達する時、息抜きになる居場所が必要になることがある。
彼が、中学時代の友達とその居場所を共有していることに、安心する。

さて、彼のことを考えていると
性格がよく似ている私は自分を見ているかのように感じることがある。
私も居場所を早く見つけなければ。

早く、見つけよう。


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