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つながることの意味が変わる。

2019年の私は、会ったことのない人とたくさん出会った。自分からアクションを起こしたこともきっかけではある。けれど、そこで出会った人たちから派生して、また新たな出会いが生まれたことは人生の中でもとても大きな意味を持ったと思う。

出会うということは、「つながることができた」とも言い替えられる。

2020年、春。
ここに来て、外出自粛となった。
「派生してきた流れ」が停滞してしまったことが少々残念でもある。
しかしながら、この記事を書くために開いているPCの画面を通じてでも、いろいろな人とつながることができる。
あらためて、その素晴らしさを痛感する。

ここ2、3日、かなりTwitterを見ている。
「ツイ廃」とかいう言葉があるが、私のようなガジェット類大好きな人はこの類にあっという間に入ってしまいそうだと感じる。
何時間も見続けることはさすがにないが、いろいろな人の言葉に触れるのはとても楽しい。

Twitter自体は、去年の8月くらいから始めたのだけれど、なかなか一般市民?ではフォロワーを増やすことは難しいし、情報発信といえるようなものもできないから、若干フェイドアウトしようかと思っていた。


つながることの意味が変わる。

「外出自粛」という言葉が当たり前になりはじめてから、徐々にTwitterに費やす時間が増えた。
もともと不安を感じやすいタイプなので、不安を感じがちなニュースは意識定期に観ないようにしていた。
けれど、今回の場合は違う。自分だけでなく、子供たちの命にだって関わるのだ。要は、「情報に触れることで安心を得る」というスイッチに切り替えたのだった。

Twitterでは前向きなツイートに目がいく。何かの会見の後には、多くの人がコメントする。完全にそこに流されることはないけれど、共感できたり、そういう考えもあるのかと感心することもできる。
日々、感染者数の数字が大きくなるけれど、Twitterを開くと多くの人の命があり、ツイートがあることにホッとする自分がいる。

企業の対応だったり、こんな時だからこその企画のようなものがツイートされていて、自分も励まされたりする。

もちろん、コロナ関連の情報も得られる。
経験された方の記事なども拝見することもできる。「文章だけでは伝わらない苦しい状況もある」とコメントされているけれど、伝えようとしてくださることが本当にありがたい。

外出自粛は、この先長くなると思っている。
子供の学校も休校が延期された。
先々の心配や不安は消せないけれど、今できる最前の方法を辿るしかない。

つながることの意味が、こんな状況の中で変わった。
ちょっと複雑な気持ちになるが、前向きに受け止めたいと強く思う。

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