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人間観察にちょうどよいのは、少し離れた窓ガラス越しの位置。

久しぶりに、近所のパン屋さんのイートインを利用しました。緊急事態宣言以降、何となく遠のいていたのです。
パンだし、近所だし、買って家で食べればいいよねということで。

私はカフェが大好きです。
とはいえ、マニアでもないし、そこまでこだわりがあるわけでもない。ただ単に、カフェのテーブルに着いて、集中したいことに取り組むか、人間観察をしたいだけなのです。

パン屋さんなので、「カフェ」カテゴリーに入るかどうかは怪しいですが、とにかく久々にうれしい時間でした。

今日は娘と買い物がてら入店したので、雑談&人間観察となりました。


人間観察にちょうどよいのは、少し離れた窓ガラス越しの位置。

昨日の雨風の後の今朝は、雲が多いながらも晴れを予感する空でした。
歩き始めると湿気を感じて、梅雨の真っ最中であることを思い知ります。

パン屋さんに入るまで雲に覆われていたのに、食べながら窓の外を見ると陽射しが差し込んでくるのがわかりました。

街中が明るく照らされてきたのを確認すると、意外に大勢の人が歩いていると感じました。


カフェに入って人間観察するとき、意識的か無意識的か分からないくらいのナチュラルさで、次のようなことを考えます。

✔ 場所と曜日と時間帯
✔ 目に入る人たちの年齢層
✔ 着ている服と持ち物の様子
✔ 子連れの方の割合
✔ どの方向に人が多く流れていくか
✔ 一人で歩いている人が多いのか、誰かと一緒の人が多いのか
✔ その人の表情

こうやって書き出してみると結構あるので、やはりカフェの窓越しに観察するのがちょうどよいのだと思います。
ど真ん中でジロジロ見ていたら、怒られそうなぐらい観察していますから。

なぜそんなに人間観察をするのかといえば、人への興味が強いのだと断言できます。
人への興味というのは、「人が好きです」みたいな、少し温かみのあるものとは少し違います。

どちらかといえば、「今ここを歩いているあの人は、どんな生活をしてどんなことを大切にして、どんな気持ちでいるのだろう」と、心理状態まで勝手に推察するような。探求に似たものです。

そして、ひとしきり観察して終わります。

推察するところまでで終わり。
特に記憶力が良いわけでもないので、楽しむだけで終了。


今日もパン屋さんで人間観察をして、ミルクティーをいただき、ソーシャルディスタンス仕様の店内を楽しみ、帰宅しました。

そして、「どこかで誰かに、観察されているかもしれないけど、誰にも本当の私はわからない」と、なぜか確信しながら歩く自分を感じるのです。


だって、
すぐに分かってしまったら
面白くないでしょう?
少し話してから、
少し聞き出してから知るぐらいの方が
楽しいでしょう?

結局見た目ではわからないと思いながらも、それすらも楽しむ。
そんな時間が大好きなのです。
次はどこで、人間観察をしようかな。




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