皆んなに好かれて、何が楽しいの?
たくさんの人に頼りにされているような方と話をしていた時のこと。
「人気者だね。」
という私に対して、
「○○と○○と○○とには、すごい嫌われてる」
と答えてきたことがある。
言われてみれば馬が合いそうにない人たちだと、頭に思い浮かべながら笑ったのだけれど、半分は謙遜しているのではないかと感じていた。
けれど、その後さらに
「皆んなに好かれて、何が楽しいの?」
と言われた。
私自身は、皆んなに好かれるタイプではないと思っている。決して社交的ではないし、一人の方が楽なHSPだ。
人見知りだと言いながら、いろんな人にアクションを取る人がいるけれど、例えネット上であったとしてもそんな事はできない。
「皆んなに好かれて、何が楽しいの?」
とは、まさに私が口にしてもいいような言葉だったけれど、人気者に見えていたその人から言われると思わなかったから絶句してしまった。
皆んなに好かれて、何が楽しいの?
比べられることではないかもしれないけれど、私よりかは十分多くの人と関わりを持つその人は、きっと周りを巻き込む力があるのだと思っている。
周囲の人が、多少嫌々ながらも協力してしまう。面倒くさいと心の中で言いつつも関わってしまう。そんな「巻き込み力」があるのだと。
恐らく、巻き込み力なんて意識せずに生きているはずだけれど、こんなドライなことを言うのは、自分を客観視しているからだと思う。
目的をはっきりさせて、それが正しいと判断すれば、あらゆる人の心を巻き込んでいく。そのためには、自分が集団の中でどんな立ち位置でどんな言葉を口にしなければならないかを、自然と計算しているのだろう。
無意識に、計算している。
考えれば考えるほど、私にはない力だと思いつつ、
私自身も、皆んなに好かれる存在である必要はないと思って生きている。
「嫌われてもいい」とは違う。
もしかしたら、「自分らしさ」といった抽象的な表現に近いものなのかもしれない。
価値観が違うのに、共感する。
何だかちょっと、面白い着地点だけれど、
何だかちょっと、幸せ。
そんな不思議な気持ちで、今日のnoteを閉じます。
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