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人は、自分に必要な言葉を探している。

わたしは学校の勉強が嫌いでした。
こんな事言うと、「誰だってそう」「自分もそう」と思われそうです。けれど、嫌いだからといって「やらない」という選択を取った人の割合からすると、少数の方に入るかもしれません。
私は、「嫌いだからやらない」という選択をして、とことんそれをしませんでした。

子供が中学生の頃、担任の先生との三者面談で「先生も中学生の時にはぜんぜん勉強ができなかったんだよ」と口にしようものなら、「ああ、この先生は信用ならないな」と内心思っていました。笑
良くない保護者ですよね。笑

大学を出て先生になったわけで。出身高校を聞けば、進学校なわけで。
「できないレベル」の基準値が違うのにいい加減な事を言う。保護者なのに子供の担任の先生に反抗してしまいそうな心境になるのです。

とはいえ。大人ですから。
ニコニコやり過ごしますさ。

そして三者面談を終えた学校からの帰り道、さんざん息子に「勉強できなかったとか、嘘じゃね?」なんて言い放ってしまうダメな母さんなのです。


人は、自分に必要な言葉を探している。

さて、「どうしますかね、今後」となった時、打開策を提案するのは難しいことです。
「がんばれ!」とか「前向きに!」なんて、抽象的すぎて心に刺さらないんですね。

つまり、必要な言葉じゃないんです。
そんな時、必要な言葉をくれるのが・・・

この場合は、塾という場所なんですね。
(これ、学校批判の文章ではないです。)

『未来を切り開く「真の学力」 × 「合格力」』
早稲田アカデミー
『第一志望校合格をつかみとろう!』
市進学院
『この秋、結果を出すなら』
明光義塾

これ、今ググったので、季節によって違うと思います。
塾って分かりやすいですよね。もちろん、まだまだ抽象的ではあります。
けれど、このコピーに惹かれて、頑張っちゃう子や、頑張らせちゃう親もいるわけです。

郵便受けに入った塾のチラシを見ていたら、息子の高校受験のことを思い出しました。
3年生の担任の先生は、とっても快活な女性でした。息子がバスケ部で、先生は女子バスケ部の顧問だったので、多少なりとも関わりがありました。そして何より、子供の目線で話をしてくれる先生でした。

だから、かなりはっきりと。そして、子供の心に刺激を与えるような言葉をかけてくれました。
その時の彼に、必要な言葉を。


あの頃を懐かしむまもなく、来年になれば大学受験が待ち受けています。
いろいろな葛藤を抱えることになるだろうことを予想すると、ウンザリもしてきますが。
恐らく私は、学費を捻出することと、その時に応じた言葉を渡すことしかできないのです。

彼が必要な時、必要な言葉を。
心に寄り添う、必要な言葉を。



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