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彼女を苛立たせるものは、私に特別な感情を抱かせる。

ウン十年生きてきて、まさかのコロナ。
そもそも世界規模で起きている事態を毎日のようにニュースで知るのに、「もしかしたら夢なんじゃないか?」なんて思いたくなるような時があります。

私は自宅で仕事をしています。バイトがなければ同じように一日中家にいる大学生の娘がいて、それが決して夢ではないことを自覚するのです。

少し前に、「小学生も中学生も、高校生も、両親ですら通勤・通学が再開しているのに、大学生だけオンライン授業で孤独だ」といったツイートがニュースになっていました。

まさにそれで、息子は毎日高校に通っているのに、娘は高額な授業料や設備費はそのままで通学できないまま前期が終わりました。前期の早い段階から、後期もオンライン授業であることが通達されました。

通学もしていないのに、施設維持費に40万円も支払う。
ええ。愚痴です。正直愚痴です。


彼女を苛立たせるものは、私に特別な感情を抱かせる。

ああ、いけない。
タイトルは『私を苛立たせるもの』ではありませんでした。彼女=娘のことを書こうと思っていたのでした。

『彼女を苛立たせるもの』とは、サークルの先輩とのやり取りのことです。学園祭で恒例となっている発表が例年通りできない状況下で、オンラインで何かできないかと、彼女は模索しています。

賛同が得られるか不安だった学部の違う友達が見方になってくれて、その中でリーダーとして頑張っていこうと考えているところです。

けれどもそこに障害があります。
「例年通り」を辿らせようと必死になる先輩からのクレームが、彼女を苛立たせているのです。「例年通り」の言葉の後には、「膨大な手書きの資料を作成する」というタスクが含まれていました。

手書きの資料を作成する。
鉛筆でイラスト書き、ボールペンでなぞる。先輩からの指摘があれば、切り貼りして体裁を整える。
印刷する。一枚ずつピックアップして重ねて折る。ホチキス留めをして製本する。

この、昭和の小学校で行われていたような作業を、令和の大学生が「毎年やってることだから」という理由で指示される状況が、彼女には耐えられないのです。


少し前から彼女の愚痴を聴いていました。
このコロナを逆手に取って、動画を撮ることで対応していくことを彼女は目指しました。

同学年の友達は、先輩の目を気にして賛同してくれないのではないか?そんな不安を抱えつつも、徐々に理解を得られるようになりました。


さて、ここまで書くと、彼女はもともと主体性のある子なのではないかと思われるかもしれません。
けれど、100%の謙遜を抜きにして、彼女は主体性に乏しい人でした。少なくとも昨年、大学1年生の時までは。

中学生の頃から、スクールカーストを気にしていて、地味だとか派手だとか、リア充だとか陰キャだとか、そういったカテゴリを気にしていました。

だから、そこまで大きなコミュニティではないにせよ、サークルの中でのあるセクションのリーダーになるなんて、想像もできませんでした。


大学生になっても、通学はしていましたが努力して学んでいる様子はありませんでした。そして長めの冬休み。明けると思っていた冬休みは、春休みまで伸びました。
通学する必要がなくなり、一日中、スマホをいじっている時もありました。

そして春のある日、私は彼女に、大学を辞めることを提案しました。
彼女が嗚咽が止まらなくなるほどに、私は冷静に彼女の現状を伝えました。

大学生は「学生」だけれど、社会人であること。
社会に出て働き、責任ある行動を取るべき人間であること。
就職せずにいる大学生は、責任を持って学ぶ必要があること。
それができない人間は、大学生をしていてはいけないこと。

何日も何日も、もしかしたらこれをきっかけに鬱になってしまうのではないかと思うほど、私は彼女に現状を伝え、彼女から出てくる甘い言葉を否定し続けました。


彼女は「大学を辞めて、特別な資格がなくても雇ってもらえるような仕事を探し、就職活動し、就職し、家を出る」と言いました。

少し疑問に思われるかもしれませんが、この言葉を彼女の口から聴いた時に、「やっと主体性の芽が見えてきたかもしれない」と私は感じました。

具体的にどのような手順で退学手続きをするのか?
どのような職種があるのか?
就職活動とはどのようなことをするのか?

すべて自分で調べるように申し付けて、しばらくして彼女は言いました。

今まで、どれだけ自分が贅沢にさせてもらっていたかが分かった。きちんと勉強して資格も取りたい。大学で勉強がしたい。

目にいっぱい涙を浮かべていましたが、今回は心が洗われるような涙でした。


この春の日よりも少し前から、もしかしたら主体性の種はどこかで植えられていたのかもしれません。
けれど確実に、このとき芽吹いたといえる瞬間がありました。


数週間かけて、毎日30分間ほど言葉を交わしました。
じっくり考えて、本気で変わろうとする覚悟が伺える言葉だと判断しました。


残暑きびしい今日この頃、春の日の会話を思い出して二人で笑います。

「例年通り」を要求する先輩に辟易して苛立つ姿は、私にとっては大きな成長を感じる頼もしいものであるように映ります。


これから起こる未知のことは、その時に考えよう。
ベストな道を見つけることは、困難かもしれない。
模索して乗り越えていくことで、経験値を上げていこう。
ひとりじゃないんだよ。
あなたの周りには、たくさんの人がいるから。


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