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文字を見せる。文字を魅せる。

久しぶりに、都内のとある地下道を歩きました。地下鉄の連絡通路です。
数カ月ぶりに通ったのですが、長く修繕工事をしていた場所がすっかり綺麗になっていて驚きました。

地下鉄の連絡通路というと、以前は少し暗いイメージだったのですが、デザイン性のあるタイルが並べられた壁を見ると気持ちまで明るくなってくるのがわかりました。


オリンピックに合わせてでしょうが、様々な「施し」のための工事が終わっているようです。予想だにしなかった事態により、オリンピックが延期となったため、何だか少し拍子抜けするとこもある気がします。

とはいえ、オリンピックという観点を覗いたとしても、多くの人が行き交う場所はクリーンである必要があると思っています。
それは治安のような面もありますし、そこを通る人達の気持ちに大きく作用すると思うからです。

そういえば、数ヶ月前に、49年ぶりの山手線新駅として「高輪ゲートウェイ駅」が登場しました。駅名が決まった時も話題になりましたが、駅の看板が設置されたタイミングでも話題になりました。
その字体が、明朝体だったからです。

わざわざ私ごときが記載するのもナニですが、JR東日本の駅看板の多くに使われるゴシック体と比べて、見えにくい、認識しにくいといった声が出たからです。

明朝体にした理由としては、和のコンセプトだそうです。認識できるかのテストも行ったそうですが、意見が出ましたね。


正直なところ、私の生活圏に「高輪ゲートウェイ駅」はないし、たまにあの辺りに行く必要があっても、利用することはない気がしています。だからこそ、今の今までそのニュースがあったことすら忘れていました。

字体、書体というのは、日本語だけではなく様々な国の言語で存在します。何かドキュメントを作成して、フォント指定をするために、その機能をプルダウンするとそれが判ります。

いろんなフォントにしてみて、それを楽しみながら、最終的にメジャーなゴシック体や明朝体に設定する自分がいます。

それから、活字ではなく人が実際に書く文字というのは、言うなればその人の「わたし体」なわけで。
私自身の手書きの文字ですら、きれいではないのですが個性溢れた「わたし体」なのです。
そう思うと何だか字体というのは無限にあるように感じて、夜な夜なワクワクしてしまう自分がいます。


字は個性だし、絵も個性。
声も個性だし、歌も個性。

私たちは並べられたタイルのように、重なることなくそれぞれ存在している。そんなことを思いながら、今日のnoteを閉じます。


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