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そわそわしてても、強くいたいHSPもいる。

わたしはずっと、自分が絶対にHSPだと思っていたけれど、絶対にHSPだということを認めたくないと思っていた人でした。

『繊細さんの本』というタイトルの書籍が出た時、「繊細さん」という言葉に嫌悪感を覚えました。
わたしはどんなことにも動じない、強い心の持ち主でいたかったからです。

実際は、全般性不安障害を長く患ったり、音や光や臭いに敏感で、人見知りだけでなく場所見知りまでする人間だったのですが。


自分の弱い部分を認めてはいましたが、そこに名前をつけられることが凄く嫌だったのです。「あなたは繊細さんですよ」と書かれたステッカーを、バンっと貼られた気持ちになりました。


自分を知ることの一環として、HSPの診断テストをしたら、強度のHSPだということが判りました。
まるで回答できなかったテストを返されて、「ほらね、やっぱり0点だった」と苦笑いするような、そんな感覚でした。


わたしには、共感できる友達が何人もいますが、その一人にHSPの友人がいます。
わたしの『普段気になること』『疲れること』なんかをシェアすると、若干嬉しそうに「そうそう!そういうトコ、わかるぅー」と頷くかわいらしい人です。

彼女がそうやって嬉しそうに頷くと、わたしがHSPであったのも悪くはないのかと思ってしまいます。
人はやはり、共感してくれる人間を求めているのかもしれません。

「HSPだなんて、認めたくない!」と思って書いたnoteを2ヶ月前に書いていました。
読み返すと、本当に嫌だったんだなと笑ってしまいます。


そわそわしてても、強くいたいHSPもいる。

2ヶ月経った今、以前ほど頑なに認めたくないとは思っていませんが、基本的には変わらずに、わたしなりのHSPでありたいと思っています。

いろいろ細かいことに気づきやすいため、
「何でそんなに緊張してるの?」と聞かれることもある。
ちょっとしたことで、体調が悪くなる。

でも、心だけは強くありたくて、いつでも「ドンと来い!」と言えるくらいな自分でありたくて、もしかしたらただの憧れなのかもしれないけれど、理想の自分を設定しようとしています。


テッド・ゼフの著書「The Highly Sensitive Person's Companion」による定義では「産まれたときから幼少期に渡り説明のつかない体験を繰り返し、HSPではなく生まれた人より五感が鋭く、精密な中枢神経系を持ち、良い刺激にも、悪い刺激にも強く反応する感受性の強い人達」とされる。
(Wikipediaより引用)


何となくググってみたら、こんなことが書いてありました。
幼い頃の記憶の中に、色だけでなく臭いや音まで鮮明に覚えているのも関係しているのかな?

もっと学力に良い影響があればよかったのに……(T_T)なんて思ったりもします。笑

とにかく、これが資質なら、これが特徴なら、活かしていくべきだと思うのです。いくらソワソワしがちでも、アワアワしがちでも、わたしなりに強く生きたいのです。


さて、そんな気持ちで明日からも、わたしは私を生きよう。
大切な人の前で、心からの笑顔であるために。


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