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「見てて」が起こす変化と、応援の意味。

幼い子は承認欲求の塊です。
承認されないと生きていけないからです。

お腹が空いたら泣き、身体の不快感を覚えて泣き、その度に抱き上げられて世話をしてもらう。これ以上の承認はないとさえ思えるくらいです。

言葉を知り話すことができるようになると、自分を承認してくれる人に対して「見てて」と口にします。

「ママ、見てて」
「パパ見て」

自分のできることや、自分が見たもの知ったものを承認してもらう。頷いて反応してもらうことで安心感を得る。
この積み重ねにより自我もさらに強くなっていきます。


「見てて」が起こす変化と、応援の意味。

承認欲求というと、「かまってちゃん」なイメージになりがちですが、人間の成長にはとても重要なファクターであると考えています。

自分を満たしたい。誰かの気持ちを満たしたいという感情がなければ、自分自身や世の中は良くなっていかないからです。

誰かが見ていて、認めてくれるかもしれない

この欲求とも希望とも取れる感情は、現在地から目標とするフィールドに進む時のモチベーションにつながります。

夢や目標を持つことは素晴らしいことですが、それが大きければ大きいほど、経験値が浅いほど、不安は募るものです。

認められる自分でありたいと努力している最中で、認めてくれないと感じるジレンマと戦うことになります。
認められないのではないかという、後ろ向きのバイアスもかかってきます。

そんな時、
「どんな自分をも受け入れてくれる。味方でいてくれる。」
こういう存在こそが、自分を応援してくれる人だと思っています。

手放しに抱き寄せてくれるのではなく、腕を組みながら傍観していて、たまに「大丈夫?」と聞いてくれて、「まぁ、がんばって」と軽く突き放す。

一見、興味関心がなさそうだけれど、たまにそれを繰り返してくれる。

状態を気にしてくれつつも、余計な持ち上げ方をせずに、淡々と背中を軽く押してくれる。いったん深呼吸して歩き出すことを見守ってくれる。
そんな存在が、私を応援してくれる人だと思っています。

「見てて」「見て」とは、まだ言えないけれど、
堂々と自分のがんばりを認めてもらえるような、そんな人になりたいと強く感じる日々です。

前を向いて、明日もまた。
前を向いて、明日もまた。

日常のふとした瞬間や閃きを、毎日書き記しています。 応援してくださると泣いて喜びます(T_T) Twitter:https://twitter.com/yurari_0_0