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「つながらない」ほど、分かりやすいストレスはあるだろうか?

一昨日の午前中、Twitterがつながらなくなりました。数週間前?だかには、Googleにトラブルがありました。
前職は、特にGoogleでトラブルになると対応に追われていたので、今や穏やかに回復を待てるだけ幸せな気持ちになります。

今日、近所のタリーズで娘と並んでPCを叩いていました。私は仕事。彼女は大学の課題。
それはそれは手のかかった彼女が、すました顔して私の隣でPCで課題に取り組んでいるなんて、時の流れというのは恐ろしいものです。

さて、タリーズを選んだ理由は、電源があることとWifiがあること。最近改装して、座席数が増えて環境が良くなったこともあり、だいぶ快適です。

・・・のはずが。
今日はWifiが不安定。

私の仕事にはまったく影響がなかったのですが、彼女はLINEで画像を何枚か送らなければならないらしく、
「うーん。送れない・・・。」
と不機嫌になりました。

LINEは最新バージョンだし、スマホを再起動しても改善せず。通信制限がかかっているわけでもなく。
こうなるとWifiしか考えられず。キョロキョロとAP(アクセスポイント)を見上げる母を横目に、「あーっ!もう!」と半ギレです。笑


前回来た時よりも、お客さんの数は多かったし、見渡すとPCを使っている人もちらほら。
もしかしたらキャパオーバーだったのかもしれませんが、あくまでもカフェのWifiですからね。仕方がないです。

時計を見るともう数時間が経過していたので、疲れもイライラを増幅しそうだったので「そろそろ出よう!」と切り替えました。


「つながらない」ほど、分かりやすいストレスはあるだろうか?

帰りがけ、フラフラとあちこちのお店に立ち寄りながら、そういえば最近「つながらない」が多いなと思いました。

一昨日のTwitterがつながらなくなった際は、朝の「おはようツイート」をする人が私も含めたくさんいました。
軽い朝活に利用している人もいるでしょうし、朝一の元気の素のような気持ちでツイートされている方もいると思います。
私自身も、おはようツイートができたのはいいけれど、その先、"いいね"をくれたはずの方の表示がされなくなり申し訳ないというか、うずうずした気持ちになりました。

思えば、誰かと待ち合わせする時に、少し遅れるとか待ち合わせ場所が分からないといった場合に、連絡を取り合いたいのにつながらないとか。そんな時のストレスというのもこれに似たところがあるのかもしれません。

つながらないって、ストレスなんだな。

もちろん、つながらないなら仕方ないと気持ちを切り替えるのですが、そこに至るまでの戸惑いが、多かれ少なかれストレスなんですよね。

ネットだけじゃないです。
誰かに連絡を取りたい。けれど連絡先を知らない。
誰かにつながってもらいたい。けれど、つながってもらえない。

フォロワーだって、読者登録だって、集客だって、
どれも「つながること」が喜びだったり嬉しさを得ているんですよね。

「つながらない」
「つながってもらえない」
「いつもつながってくれるのに、今はつながってくれない」
「いいねがない」
「いいねしてくれない」

気にする人にとっては、ものすごいストレスなんでしょう。

いつもつながっているものに、つながらない時、私もストレスを感じます。
つながらない時、そこに理由があると安心しますが、たまたまな場合もありますよね。

もっと心穏やかに生きたいっ!

そうなんです。
何が言いたいかというと、そういうこと。
「つながらない」はストレスだけど、今だけかもしれない。
深い理由などないかもしれない。
しばらくすれば、つながるかもしれない。
そういう風に、考えてほしいんですよね。

あれ?
何だか私の願望になりましたが、
ネット社会ですから、トラブルはないに越したことはないですね。
明日は月曜日。
穏やかな一週間になりますように。 ^ ^

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