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そこに、いた証明。

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記憶に残る、大切な人たちとの瞬間を切り取ったもの。
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2020年3月の記事一覧

優しい言葉が欲しくて。

志村けんさんが亡くなったニュースは、すごくショックだった。 正直、芸能人が亡くなったニュースで、こんなに泣いたのは初めてだった。 子供の頃から知っていたし、出演番組ももちろん観ていた。けれど、特別ファンだということもなく、欠かさず観ていたというわけでもない。 何故こんなに涙が出るんだろう・・・。 そう思いながら、Twitterを目で追う。 そして、次々と同じようなツイートが表示される。やっぱり事実なのだ。デマではなかった。 長く病気を患っていたなら、すんなり納得できた

109の文章を書いたことで、得られた思い。

note毎日更新が100日間続いた。遠く離れたところに住む、大切な友達が教えてくれた。 彼女自身が、Facebookライブを100日間連続UPを達成したからだ。 お互いに6日間くらい続いたところだったか、別のメディアだが、偶然にも続けていこうとしていることを共有し合ったのだ。 彼女はすべて真面目な内容なのだけれど、私はちょっと違う。 「今日は書くことがない」的な、かなり投げやりな文章も書いていたからだ。まあでも、結果としては100日間書いたことには変わりがない。だから良しと

あんなことがあったなと、思い出す時まで。

昨日、用事があって東京駅周辺に出没した。 ちょうどお昼休みぐらいの時間帯だったけれど、どことなく人が少なく。歩きやすさを感じる反面、いつもと違う雰囲気に居心地が悪かった。 企業人のような人たちの少なさも感じたけれど、何よりいつも多くの外国人観光客がいるのにその気配がない。 私は人混みはもちろん好きではないし、並んでどこかのお店に入るようなことも余程のことがないとしない人だ。それなのに、人が少ないのを感じて居心地が悪くなるなんて複雑な気分だった。 あんなことがあったなと、

3.11に思う、生かされているということ。

今日は一日、3.11のことを考えていました。 正直、昨年までは深く考えることを避けていました。 それから、今日のnote毎日更新に「東日本大震災」のことを書くことを迷っていました。 どんな言葉を使っても、軽々しいものになってしまうと思ったからです。 あの日あの時、私は子供二人が通う小学校の校庭脇を歩いていました。ちょっとした忘れ物を、子供の靴箱に入れようと思っていたのです。 その時間は体育の授業などはなく、校庭は誰もいませんでした。 もうあと何メートルかで昇降口といった

涙のカノン。

新型コロナウィルスの影響で、卒業式が中止になったり縮小されるなどの措置が取られている。 思いの外、世の中が「卒業式」といったものに心を寄せているような気がする。中には学校自体が閉校してしまうところもあるようなので、心が痛む。 「卒業式」という言葉を幼いころのワタシが認識したのは、小学校4年生のことだった。吹奏楽をやっていたので、卒業式や運動会などの行事では何かしらの出番があった。卒業式は、入場・退場・校歌・君が代を演奏していた。 クラリネットを担当していたワタシは、今より