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失ったものは何だろう?:本当の自分に気づく100日チャレンジ50日目

あっという間に

一日が終わり
一年が過ぎ
で、本当にいいの?

50代という折り返し地点にいる私が
本当の自分、人生の目的に気づくために

残りの時間が100日しかなかったら、という前提ならば何をどう選択していくかという「自分実験」100日チャレンジの記録を綴っています。

★49日目の記事はこちらからお読みください。

100日チャレンジー50日目

50日目にしたこと

一体何を失ったんだろう?

・お金を失った
・仕事を失った(←正確に言えば、私が止めた)
・換金できるブランド品や貴金属を失った
・ちゃんとした人であるを失った(←迷惑かけない、支払遅れない)
・時間を失った(←年齢を1歳重ねた)

金融や社会で言われる「信用」を失った

・外食、デザートを我慢している
・旅行を我慢している
・お花を飾るのを我慢している・・・など

自分のやりたいことが制限される自由度を失った

が、しかし、それを手放してツラくないとは言わないけれど・・・
めちゃくちゃ困るかというとそうでもない感覚。不思議。

50日目の気づき

私が失ったのは、DoとHaveだけ

Be(在り方)、Do(行動)、Have(手にするもの)

私がずっと追い求めてきたのが、DoとHave
ここが、社会や周りから見られる私の存在価値だと思ってきた。

そして、私はBe(在り方)をずっと蔑ろにしてきた。
周りの人に合わせて、自分を置いてけぼりにしてきたのだ。
自己受容を始めて、それに気づいて4年目。

Beが整えば、DoもHaveも自然に整って人生が流れるのに、私は、全く逆をを強引に進め辻褄合わせの増改築を繰り返した家と同じだった。

ということで、一度取り壊して、基礎から建直し中が今の状況なのだ。
目に見えるのは、地面だけ。

更地になったからこそ、地面深くに軸を立て直せる!

50日目の振り返り

あるとナシは表裏一体

収入が全く入ってこないというと実はウソになる。
電子書籍のノベルティが数千円は毎月振込まれる。

バイト先が見つからないは実はウソになる。
すぐに現金で払ってくれるところが見つかってないだけだ。

確かに週明けの支払いをすると手元に1000円ちょっとしか残らない。
でも、とりあえず今はカードで電車代がチャージできる。
債務整理も行政の相談窓口に行けば、費用もほぼナシだろう。

色んなものを失ったようで、だから気づけたアルがある。

今日も一日ありがとう。
明日に続く。

★51日目の記事はこちらからお読みください。


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