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トラウマは存在する?しない?

トラウマとは?

トラウマとは、個人が持っている対処法では、対処することができないよう な圧倒的な体験をすることによって被る、著しい心理的ストレス(心的外傷)のことを言います。

これによって、成人してからも同様の体験が目の前で起きる過敏に反応し、怒り、怖れ、不安、自己否定などにつながっていきます。

この対処法として、感情を手放すワークやインナーチャイルドを癒す、また潜在意識の書き換え、NLPが挙げられます。

あるいは、マインドフルネスや呼吸法によって、マインドセットを整える方法もあります。

アドラーはトラウマを完全に否定するのは?

アドラーは、このトラウマを完全に否定しています。

なぜなら、同じ体験をしてもその後の人生は人それぞれ違うからです。
その経験が心の傷だと原因するなら、みんな同じようになるはずだ。と言うのです。

だから、その体験があってこんな自分でいようと自分が選択しただけで、そこには、自分にとって都合がよい目的があるからだと言うのです。

それによって、自分が変わらなくていい言い訳にしているのだ。と手厳しいことを言われるのです。

インナーチャイルドでは治らない?

アドラーの目的論でいくとトラウマはないので、インナーチャイルドを癒すのはなぜだろう?となります。

インナーチャイルドを癒しても、生きづらさは治らないのか?

これは、人によって様々です。
どれくらいの心的外傷かは人によって異なります。
同じくらいの傷だとしても、癒されたことでもう大丈夫だと思い込める人はすぐに改善しますし、こんなことで本当に改善するのかと思う人はそうならないでしょう。

潜在意識の書き換えもNLPも同様です。

トラウマは存在するのでは?

じゃあ、やっぱりトラウマは存在するのではないか?
という疑問が生まれます。

私は以前、NLPを使って鳩嫌いを改善したことがあります。
それまで1mも近づけないほど鳩が大嫌いでした。
今では、平気で鳩が歩いててもその中を通行します。

私が鳩嫌いになったのは、幼稚園のときに観た映画「ザ・バード」があまりにショッキング過ぎたからだと思います。
アルバムには、鳩にエサを撒いている幼い頃の写真が残っています。
だから、生まれたときから鳩が苦手ではなかったのです。

トラウマになった出来事は存在する

確かにトラウマになった出来事は存在しています。

それがきっかけになって、それぞれの人が色んな思い込みを持つようになったでしょう。

しかし、成長と共にその思い込みをどこかの時点で手放してきた人もいれば、ずっとそれを持ち続けている人がいるのです。

なぜその違いが出てくるのか?
ここがアドラーの目的論の説明がしっくりすると思うところです。

トラウマという思い込みを手放さないと決めている

子供の頃に親の大変さに気づく人はそういません。
成長して、自分が親になったとき、あるいは人を育てる仕事に就いたときに人を育てる大変さがわかり、相手の立場に立って受け止められるようになることがあります。

すると、親に対して反抗してきたけれど、感謝だったなと思い直すでしょう。

失敗したら笑われると教えられてきた人が、旅先で失敗自慢をする人たちの輪に入ったことで、これまでの失敗って大したことなかったんだと思えた瞬間、ありのままの自分にOKが出せることがあります。

すると、失敗を怖れることがなくなって、やりたいことをどんどんできるようになるでしょう。

誰にでもこうしたこれまでの概念を覆す場面が一度くらいはあったはずですが、それでもトラウマという思い込みを手放せていないとしたら、それは手放さないほうが自分にとって都合がよい目的があるからだ。と言うのがアドラーです。

その場合、インナーチャイルドで癒しても、手放しのワークをやったそのときは、一旦手放せるのですが、すぐにまたその思い込みをつかんでしまうので、何度やっても手放せない。

すると、しつこいトラウマだ=それほど心が傷ついているんだ!と思って、ますますトラウマを強化してしまいます。

だから、手放さないと決めている。になるのです。

知識で理解したい逆エンパスさんに向いている

逆エンパスさんは、何かと納得したい、納得できないと肚に落ちない方が多いです。

私もその自覚がなかったとき、何をやっても、何度やっても心の傷が癒されず何十年と引き摺って生きづらさが増していきました。

ところが、アドラーを読んだとき、もう終わってしまっていることをいつまでも手放せずにいたのは、誰でもない自分自身で、それを選択していたからだと認めたら、全てがスッキリしていきました。

自分で自分の人生を創造しているのだから、相手を状況を責めても何も解決しない!それが自分の人生の責任。

単語があまりにも重たくて最初は受取りたくなかったけれど、受取ったほうがすごく軽く自由になれました。

なので、逆エンパスさんにアドラーは向いている気がしています。

出来事ではなく感情を握りしめているだけ

私たちの記憶は正確な出来事を覚えているわけではありません
そのときに感じた感情をいつまでも握りしめているだけです。

だから、癒したり、書き換えたりすることでそれを手放せるならそれでもいいし、それだと手放せないなら、手放したくない目的を自分に問うてみるというやり方もある。それがアドラーなのだと考えています。

誰かに怒りや怖れの感情を抱いて、〇〇さんのせいだ!と思っているほうが自分を正当化できますが、それが本当に幸せでしょうか。

自分の失敗に罪悪感を覚えて、自己犠牲で耐え続けていくことが、周囲の人にとっても幸せなのでしょうか。

どんなやり方でも、感情を感じ切って手放していけたら、ずっと軽やかで自由に生きていけるのではないでしょうか。

生きづらいのに手放せない理由は・・・

人それぞれですが、、、

変わりたくない
変わるのが怖い

今に不満や不安はあるけれど
何とか生きていけるからこのままでもいいか

私は、自分と向き合うのをずーーーっと避けてきました。
そして、人生の失敗は、全てトラウマのせいだ、と免罪符にしてきました。

私が守りたかったのは、悲劇のヒロインでいること。
しかし、悲劇のヒロインはできればアラフォーまでに卒業しましょう!
50歳過ぎてやっていた私は、それでなお人生が痛くなりました。

結果的に、本来の自分に還るのがすごく遅くなりました。
人生設計図からすれば、すべて予定通りだったのでしょうが。

すべて自分の選択です!

変わりたいけど変われない

新しい世界に足を踏み入れるときは誰もが不安と期待が入り混じります。

どこからアプローチして感情の手放しをしていくかも
変わるのを怖れて感情を手放してもまたつかみ直すのも
自分で選択できるのです。
と言うより、自分で選択しているのです。

すべて自分の選択だとしたときに、
誰でも必ず幸せに生きていけると決まっていたら、
本来の自分に還り
ありのままの自分で自由に軽やかに生きるを望むとしたら
あなたは、どんな人生を選択していくのでしょうか!









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