見出し画像

神馬 【シロクマ文芸部】

走らない馬は必要ない。
旦那樣はそうしてボクを殺そうとした。
ボクの脚の腱は細くて、生まれつき走ることができなかった。
「パパ、そんな可哀想なことしないで」
「ジュリア、可哀想だけれど、我ら遊牧民に走れない馬は必要ないんだよ。いずれ足手まといになればどのみち殺すしかないんだ。今殺しておくのがこの子の為でもあるんだよ」
「だってこの子は私を運ぶことができるじゃない」
「お前が大きくなったらそうはいかなくなるだろう」
「せめてその時までは一緒にいさせて」
「しようがないねぇ。じゃあ、お前が世話をしてやるんだよ」
「ありがとう。パパ」
そうしてボクはジュリアお嬢様をお運びする役目をいただき、なんとか命をつなぐことができた。

ボクは何で生まれてきたんだろう。
情けなくてポロポロと涙がこぼれるのを見たお嬢様が優しくボクの鬣を撫でてくれた。
「ねえ、死んでいい命なんてないと思うの。私はお前の澄んだ目が大好きよ」
「ボクはいずれお嬢様を運べなくなるかもしれません。そうしたら本当に何の役にもたちません」
「私がお前と一緒に歩けばいいだけじゃないの。私達は友達でしょう?」
ボクは嬉しくて、また涙がポロポロとこぼれた。

何としてでも、お嬢様をいつまでもお運びする。
ボクは坂道を登り降りして日々鍛錬を続けた。
それに人は急には大きくはならないもので、ボクはお嬢様が年頃になっても変わらず勤めを果たすことができた。

ある夜、お嬢様がボクの厩にやってきた。
そしてうずくまるボクの背に頬を擦り付けた。
どうやら泣いているようだった。
「昔はお前と厩でよくこうして眠ったわよね」
「お嬢様、悲しいことでもあったのですか?」
「・・・。」
そしてまた無言で涙を流される。
「私は明日隣の部族にお嫁に行くのよ」
「それはおめでたい話ではないのですか?」
「行きたくないわ。お前とも離れたくないの。首長の息子は気性の激しい乱暴者なんですって」
なんてことだ。
ボクは目の前が真っ暗になった。
「お嬢様、逃げましょう」
ボクはお嬢様を背に乗せて、山へ逃れようと切り立つ岩山を必死に登った。
ボクは走れないけれど、鍛錬の賜か、他の馬達が昇ることのできない傾斜には慣れている。
「お嬢様、朝までにできるだけ遠くに逃げて、山に身を潜めるのです。しっかり鬣を握ってください」
「わかったわ。お願いね」
こんな逃避行、無茶だと思ってもじっとしてはいられなかった。

遠く山の麓に灯りがチラチラと見える。
追手の篝火か・・・。
夜もしらじらと明けてきた。
間もなく追いつかれてしまうだろう。
誰か、神様。
誰でもいい。
お嬢様だけは助けてください。
馬はその昔神の贄とされた存在。
ボクはお嬢様を背から下ろすと、崖に身を投じようと前に踏み出した。
「お前、ダメよ」
「お嬢様、大丈夫です。馬はこの身と引き換えに主を守ることができるのです」
「いやだ、それなら私も一緒に行くわ」

ふいに一陣の突風が巻き起こり、視界が塞がれる。
まるで何が起こったのかもわからずに、ボクとお嬢様は崖の上から放り出されていた。
お嬢様を助けないと!
すると不思議なことにボクの四肢は空を掴んでいた。
脚には翼が生えている。
「おや、お前。あの時地上に落ちた子じゃないか」
目の前に髪をなびかせた麗しい男神がお嬢様を抱きかかえて笑っていた。
知恵の蛇が巻き付いた黄金杖に翼のついた黄金の靴。
「ヘルメスさま」
「神馬よ、ようやく自分が何者かを思い出したんだね」
そうしてヘルメス神はお嬢様をボクの背に乗せた。
「朝霧でお前たちの姿を隠してやろう。さあ、お行き」
「ありがとうございます」
ボクは縛めを解かれたように天を駆った。
頬に当たる風は柔らかく、体は雲のように軽い。
「お前は神馬だったのね」
「今のボクならお嬢様をどこへでもお連れできますよ」
そうしてボクは力強く空を蹴った。

今週もやって参りましたシロクマ文芸部。
走らない馬、と素直に創作してみました。
ザ・ひねり無しです。
最初は筆が「走らない」にしようかとも考えましたが、馬が好きなので、こうなりました。

ご興味のある方、参加されてはいかがですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?