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オシリスさん誕生日につき大サービス!誕生日別 和のお守り文様 6月10日<時計>

令和版 誕生日別 和のお守り文様
 
令和の日本では西洋の文化が定着し、日本人特有の寛容さから異文化の祝い事なども生活の一部となり、それが当たり前のこととなっております。
それゆえに我が国特有の文化や文様が思い返されることが少なくなりました。
しかしちょっと考えてみてください。
さまざまにアレンジされながらも、その文化は脈々と受け継がれているのです。
たとえば昔からあった「瓜文様」。瓜科の植物は蔓草が繁茂する様子から繁栄の象徴とされ、手回りの道具や絵にあしらわれてきたのです。
現代では半分にカットされたスイカがデザインされた図案があるとしたら、これが昔通りの「瓜文様」ということになります。
文様にはそれぞれの意味があります。
366日のそれぞれにふさわしい文様を数秘術などから割出し、解説を加えたのが本書です。
季節にそぐって文様化された動植物、有職文様、渡来文様など、令和の時代だからこその文様も含まれております。
一年を豊かでラッキーに過ごすエッセンスとしてご活用ください。
 
暦について・・・
我が国は長い間太陰暦(旧暦)に従っていました。
太陽暦を取り入れると発表されたのは1872年明治5年11月9日。
実際に施行されたのは、旧暦明治5年12月3日を明治6年1月1日として開始されました。
太陽暦が当たり前の令和の我々には、旧暦はもはや遠い存在ですが、一月ほども違うと季節もずれてくるというもの。
行事や季節感に違和感を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 
 旧暦の季節区分
春 1月~3月
夏 4月~6月
秋 7月~9月
冬 10月~12月
 
新暦の季節区分
春 2月~4月(5/4までが春)
夏 5月~7月(8/6までが夏)
秋 8月~10月(11/6までが秋)
冬 11月~1月(2/3までが冬)
 
本書は新暦に則り、改めて令和版の『誕生日別 和のお守り文様』として発表させていただきます。
 
青木 紫


<6月10日生まれのあなたの文様>
 時計(とけい)

時計

6月10日は「時の記念日」です。
日本で初めての時計が作られたのは天智10年(671年)のこと。太陽暦に変換して6月10日がその日であることから制定されました。
天智天皇が作らせた当時の時計は「漏刻」という水時計です。四段ある水槽の上段から一定の水量が落ちてゆき、一番下の水槽に到達するとそこにある矢が浮かび上がることで目盛りを読んで時を測るという物でした。そして時を知らせる人員が鐘鼓を打って時を知らせたのです。
江戸時代になると本格的な和時計が作られましたが、それまでは時の鐘によって時刻を知らされたのが一般的でした。昔は現在とは違い、一刻は約二時間。十二支になぞらえて零時が子(ね)の刻として鐘は9回鳴らされました。そして次の刻は午前2時の丑(うし)で鐘は8回というように人々は時間を把握しておりました。

一時間を60分、1分を60秒とした「六十進法」は2,000年以上昔のメソポタミアはシュメール人が考案したものです。エジプト人が12時間を2組として一日を考え、巨大なオベリスクを日時計として現在の時間計測の礎を築きました。
歯車によって時計が作られたのは14世紀のこと。その当時は大きな仕掛けでとても身につけるような時計ではありませんでした。
ゼンマイ式は16世紀の懐中時計から作られるようになり、ようやく現在の形に近づくのです。
西洋において腕時計は女性のために作られたものでした。男性は懐中時計に鎖をつけてジャケットの内ポケットに忍ばせるのが身だしなみの一環でしたが、男性も腕時計を着けるようになったのは皮肉にも戦争の勃発によってなのでした。戦場にあっていち早く時を知るためには腕時計ほど便利なものはありません。
時計の文様は「循環」「永劫」の意味を持ちます。
そして「共時性」は人と人が共に同じ時間を過ごしてゆくことで思い出や歴史を積み重ねてゆくことから、愛する人にプロポーズの意味などをこめて贈られました。
この「共時性」は死ぬまで続いてゆくので、その重ねてきた時間に感謝する意味でも記念日に贈り合ったものです。
時計は時を刻む、歴史を刻むものです。
ご先祖様に感謝をして時計を磨いてみてください。
ご加護を得られるでしょう。


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