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いずれ仕事は辞める日が来る

これをいうと仕事を馬鹿にしてる、仕事を腰掛けだとでも思ってるのかと罵倒されることが多い。

いや全然馬鹿にしてないよ。

コロナでよりはっきりしたのは、永遠に続く仕事なんてないということ。
そして今ある仕事はいかに脆弱なものの上に成り立っているかということ。そんなこと、だって東京電力だって生活インフラだったら安全だと思っていたら東日本地震と津波があったり、山一証券もリーマン・ブラザーズもある日突然倒産するなんてことがあったり、技術革新・刷新があって私が子供の頃にあった会社がもうなくなってたり、オリンパスや富士フィルムみたいにベースになる技術は同じでも今やってる事業と当初の事業とが全く違うものになっていたりするのなんて極めて日常的にありうるのに、自分の仕事、自分の会社に関してはそういうことが起こり得ないと感じているのは全くもって驕り高ぶっているな、としか感じない。諸行無常。驕る平家は久しからず。驕ってなくても仕方ない。もはや運。

まあそこまで激しくなくても、人間いつか死んだら仕事は辞めざるを得ないし、会社勤めなら定年退職ってのもあるし。どっちにしろ最終的に仕事は辞めるもんである。人間仕事できる時間は人生の中の一部、有限でしかないんだから、限りあるリソースの中で有効活用ってのは他のビジネスにおいては当たり前の考え方なんではないかね。馬鹿にしてるからじゃなくて、ちゃんと考えてるからこその考えなんだと。

むしろそれを踏まえたうえで、今ある仕事が永遠にあると思ってるのかと言いたい。どっちかよ、自分が辞めるか、会社がなくなるか。

子どもたちの65%は将来今ない職業ににつくという話題はあったけれど、今いる大人だってずっと同じ仕事をしていられるとは限らないというのは同じ状況であって、であれば漫然といま会社で働けてるからOKとか、フリーランスでも仕事続いているから大丈夫、とかではなくてもっと『個』としての力をつける必要があるわけだ。

しかしまあ、日本の旧態依然とした体質の社会では「上司の言うことを聞き」「言うことを実行し」「ただし馬鹿すぎるといらない」「かといって意見を持ちすぎるのもいらない」絶対服従、盲信的に上のことを信じて疑わず、かといって上司や取引先の思っていることを言わなくても汲み取って行動を起こし(これが言ったことだけやってろ、とは相反するから不思議なのよね)従順にプライベートも全て会社のもの、人生の中の仕事ではなく仕事がまずあっての人生である、それに当てはまるように行動せよ、という考え方の人がいまだ上にいて世間に幅をきかせているものですから困りますね!あとそう言う人たちは「言うこと聞かないやつや使えないやつは捨てても次がいる!」とこの人材難の時代に平気で言うてるからいやもう日本の現実を見れてないわね素晴らしいわ!と言わざるを得ない!え、いない?いやいやそうじゃなかったらなんでブラック企業が告発されとんねーーーん!ってね!

じゃあ一体全体『個』の力をつけるためにどうすればいいのか。

私は、『疑うことをやめない』ことだと考える。

もちろん、信じることは大事だけど、とにかく疑う。疑い尽くす。できるの?できないの?どうなるの?もしかしたら?いやそうじゃなくて、疑うことは起こりうることへの思考実験だ。起こらなくても起こったとしても、その思考のプロセス自体が大事なものであって、その想像自体がぜった何かしら次につながることだと私は考えてる。

与えられたことというよりかは、ふってきたものに対してどうありたいか、どうあるべきか、どうすべきか、想像しうるありとあらゆることへの想像力の自分の中でのラリーをすること。

そしてその想像をするためには知識が必要である。想像を膨らますにもベースになるものがないなら膨らまない。今あるものを知る、出てくるものを知る、これまでのものを読み解いて、その上で先を読む。
これからはやれMBAだ、中国語だ、プログラミングだとトレンドが出ては廃れていったけれど、そういう小手先のものでは無くて、より一層本質的なところを高める必要があるなと、仕事のペースが変わった今だからこそ考えたりする。

学ぶことに敬意を持たれない世界だけど、正しく蓄えた分だけ仕事の成果として結実する日を願ってやまない。



私に課金していただいたぶんは私が別のエンターテイメントに課金してそれをまたネタにしますので華麗なるマネーロンダリングとなります。