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翻訳者のつぶやき なんで私が『臓器収奪ー消える人々』を... その9

今回は、生命倫理学という分野の存在に感動したトフティー氏の話です。 ...実に物騒な書籍の翻訳者になってしまいました。その経緯と本書の内容に関わる逸話や情報をお伝えできればと、ブログを書いています。

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(9)ほがらかな酒

【サマーキャンプ】

2016年8月、日本での生命倫理学のサマースクールというのに、突然、トフティ氏が招かれた。ウイグル人の元外科医で臓器収奪の貴重な証言者だ。

サマースクールは、こじんまりとした発表の場だった。教授先生だけでなく、大学院生の発表もあった。このような小さな場での英語での発表は、国際学会への下準備にもなるのだろう。

臓器移植に関するセッションにトフティ氏が特別参加した。まず、日本で最初に行われた和田心臓移植とは何だったのかという講義があった。最後の講義としてトフティ氏が、囚人から臓器を摘出させられた体験を証言した。「ここで懺悔させてください」と深々と頭を下げることから話は始まる。

スコットランド議会などで証言されたときは、医療関係者は皆無だったが、生命倫理学者には何らかの医療知識がある。最初の講義内容に深く耳を傾けていたトフティ氏。自分の番になったら、臓器摘出の際、どのような切り込みを入れたかなど、これまで聞いたことのない細かさで話された(素人の私はうっそー、と思いながら通訳していた)。

その場に参席された方々が「泣く子も黙る」といった感じで聞き入っていた。前日のセッションで大学院生を叱咤されていた教授先生も、人が変わったようだった。セッションが終わって部屋を出る時、一人一人の方がトフティ氏に深々と頭を下げていたのが印象的だった。

2016.8トフティ

[サマースクールでご自分の体験を話されるトフティ氏]

【生命倫理】

元外科医のトフティ氏にとって、とても居心地の良い環境だったようで「この集まりは何なんだ?」と尋ねられた。Bioethics(生命倫理)の学者の集まりだと言ったら、「そうか、自分は”倫理”を貫くために祖国を離れたのか」と初めて自分の人生に納得がいったご様子だった(中国の教育には倫理の発想は皆無なのだろう)。

その夜は、懇親会。「お酒は控えめに」と目を光らせていた私だった(アテンドってつまり、修学旅行の先生ですね)。ホテルに戻る途中、「お酒が美味しかったことは初めてだ」と語ってくれた。「これまで、何で自分の人生はこんなに惨めなんだろうか、と愚痴っていたので、酒はいつも苦かった。でも今日は酒を飲んでほがらかになった」と。

生命倫理という分野の方々と出会ったことで、トフティ氏は証言者としての自分に確信を持たれた。日本の土壌で証言者を育んでもらったと感じた。

【アイルランドでの証言】

翌年2017年の7月、トフティ氏がアイルランドの公聴会で証言した。この動画を最初に見た時、(修学旅行の先生の立場から)スピーカーとして成長したなあ、と感心した。わずか3分に全てが詰め込まれていた。隣に座っているガットマンが、「短くしろ」とアドバイスしたんだ、と後で教えてくれた。実に端的でわかりやすい。単なる証言に留まらず、自分の中の確固たる倫理に基づいて、中国で起こっていることを指摘している。

[アイルランドの外務・通商・防衛共同委員会の公聴会でのエンヴァー・トフティ氏の証言録画](3分5秒)

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第2回 「地獄に落ちるだろう...」中国の処刑場で行われた囚人への注射

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