見出し画像

給食きらいだったから、学校はかけらも楽しくなかった。会話も苦手だったし。~陰キャになった理由の考察…~

こんにちは、全人類の末っ子です。

「学校楽しかった」(大学以外で)って人がいたら逆に理由を聞きたいくらいに学校が嫌いだったわたくしですが、その大きな要因には「人の言ってることがわからない」っていう大きなカベがありまして。自分で話してて闇深ぁ~って。でも意外とこういう人多かったんじゃないかな?

あと、給食も嫌いだったから、学校に通ってて楽しいことなんてひとつもなかったよ☆

みんなさー、給食って好きだった?私、全然好きじゃなかったんだけど。

すごいさ、美味しいもん食べさせてもらって育った子供だったのね。舌肥えてたからさ。今考えたら、すっごい嫌な子供なんだけど(笑)給食美味しいと思わなかった。

「給食が楽しみで学校来てる」みたい言う人いるじゃん。でも私、学校ももともと大嫌いで、でも給食も美味しくないし、友達もいなかったの、そんなに。

だから何か勉強だけ楽しかった。でも学校大嫌いだった。

人が言ってる言葉の意味が分かんない子供だったの。

小さい頃お友達同士で会話するじゃん。でも私は、勉強する方の理解力はあるんだけど、普通のコミュニケーションの中で必要な理解力みたいのが全然ない子供で。

何か喋っててさ、会話するじゃん。その言葉の国語の辞書で引いた時の意味っていうのは理解できるんだけど、でもその文章が一体何を指し示しているのがかがわからないって言うか。

例えばさ「そこのお茶とって」とかだったらわかるよ。でももうちょっと複雑になって、察っさなきゃいけないみたいな会話になってくると、全然わかんなくって。そういう子供だった。

小さいときって体を動かして遊ぶじゃん。休み時間とかもドッジボールとかさキックベース、私たちのところはサッカー野球飛んでたんだけど。そういう遊びってさ、ルールが分かってて、あとは、動ければ楽しめるじゃん。

逆に、教室でお話ししてる子達が、なんでずっと休み時間も外で遊ばないでお部屋で話してるだけで楽しめるんだろう?ってすごい不思議だったの。

「それって何でだろう?」って考えてみると、外で遊ぶって言語のコミュニケーション必要ないじゃん。最低限でいいから。

でも会話するってなったら言語のコミュニケーションがめちゃくちゃ必要じゃん。会話なんだから。

後になってから気づいたんだけど、私会話ができない子供だったの。だからお部屋でお話しするの楽しくなくて、お外で遊ぶのは楽しかったの。

そんな感じだったから、小学1年生って私みたいな人でも普通にお友達と遊べたのね。あんまり相手の気持ちとかが分かる子じゃなかったんだけど、よっぽど意地悪なこととかしなかったら大丈夫じゃん。

だけどちょっと大きくなってくると「あれ?この人話通じない」みたいな違和感を周りの子達は感じ始めたんだよね、多分。私はその年齢の時に全然まだそういう感覚が育ってなくて。

今は分かるようになったんだけど、その時は全然わかんなかったから、だんだんクラスで浮くよね。だから楽しくないの。お友達もそんなできないし。

だからずっと「なんか分かんないけど人に好かれてないな」っていう感覚を持ってたの。そういうのがあったから、今思えば楽しくなかった。

なんだけど当時は原因とか分かんないじゃん。「学校好きじゃないなぁ」と思いながら、でもまぁ「学校って行かなきゃいけないものだから行く」という…。

高評価、チャンネル登録、Twitter・noteのフォローもよかったらお願いします😗😗

おいしいごはんたべる…ぅ……。