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のようなもののようなもの

最近Twitterに目覚めた。理由はいろいろあるのだが、多分私の「持論」に人はどう思うのか知りたかった、というのが一番の理由だろう。

今まで活用法がいまいち思い浮かばず、アカウントを作ったまま放置していたが、いざ投稿を始めたら出てくる、出てくる、呟きたいことが。それからはすっかりのめりこんで、多い日には1日80ツイート近く投稿している…。

妄想好きの私の頭の中はラジオ局

もともと、考え事をするのは好きだった。頭の私は、ラジオのパーソナリティ。「それでは、次のお葉書です」と、質問にお答えして持論を展開する。

高校生のころからだろうか。少しずつ、自分の頭で考える、ということができるようになった頃。当たり前のことが当たり前だと疑いもせず受け入れることに疑問を抱き始めた。

それって…。(良いって言われるから良いと思ってるだけだよね…)
そんな違和感を抱く度、ラジオがON AIR。
あーでもない、こうでもない、と2人の私が頭の中で議論を交わした。

今思えば、なぜ1度もTwitterという手段に出会わずに過ごしてこれたのだろう。それが不思議でたまらないほど、つらつらと考えを吐き出すのに格好の場であった。

140字の奥深さ

今さらこれ言ってる奴なんなん??ってぐらい言い古された言葉だが、Twitterの魅力を一言で表せと言われたらこれに尽きる。

始めは1回1回のツイートが重く感じて、「正解が分からない…」という手探りの不安でいっぱいなのだが、どうせそんなにリアクションは返ってこない。だんだんと、人に見せるという意識は置いといて、とにかく思いついたこと全てをメモするように、あれもこれも呟くようになった。

そうなってくるとこっちのもんだ。
「これ、別の言葉で短く言い換えられないかな」「この単語要らん!」
140字に140字以上の思いを込めようと、試行錯誤を繰り返す。

文章書くのが得意な人も、苦手な人も、文章力を上げたければ、140字ギリギリに思いの丈を込めてひたすら呟き続けることをお薦めしたい。
ポイントは、言いたいことを1ツイートに収めること。だらだら伸ばすと練習としては意味がない。

そうして1000本呟くころには、愕然とするだろう。

「のようなもののよう」

無意識のうちに使っているこんな無駄な言い回しが、如何に多いか。

おいしいごはんたべる…ぅ……。