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どこに連れて行ってあげようか、昔のわたしの手を引いて。

わたしを一言であらわすなら。

いろんな言葉が当てはまるけど、ひとつ挙げるとしたら「『あ、そうなんだ』で済ます人」。

いつもいつもサッパリしているわけじゃないけど、たぶんけっこうサッパリしてるし、そんなに執着しないし、意外とあっさり手放す。

人の性格というものには、生まれつきとか、遺伝とか、そういったものもあるだろうけど、たぶん、幼い頃起こった出来事に形作られる要素のほうが多いんじゃないかとわたしは思っている。

わたしに起こった出来事の積み重ねで、わたしは「『あ、そうなんだ』で済ます人」になった。

それは今ではわたしの強み。そして最初は、きっと自分の身を守るために身につけたものだった。

子供の力では変えようがない、人間の力では変えようがない、そんな出来事に、悩んだところでどうしようもない。考えたところでどうしようもない。

そういう出来事を、「単なる事実でありそれ以上でもそれ以下でもない」と捉えることで、自分にはどうしようもないという感覚を理不尽さや不公平さとして処理するのではなく、それはそういうもんだと受け流す、そういう術を身に着けたのだ。

そうやって育ったわたしは、「対話」というものを避ける人間になった。誰も自分の事を理解してくれないと思ったし、理解してもらうために説明する気もなかった。「わからないんだ、あ、そうなんだ。」それは、それ以上でもそれ以下でもなかった。

そんなわたしも少しずつ、世の中には色んな人がいるってことを理解しはじめて、頑張って説明しなくても自分のことを理解してくれる人たちに出会った。

自分とは真逆の世界を見る人が見せようとしてくれる世界を、面白いなって思うようになった。

今だって、事実は事実で変えようがないときがある、っていう考えは変わらない。

だけど、どうにかできるとも思う。

どうしようもない事実でも、新しい場所に、自分の力で、運べるってわかったんだ。


おいしいごはんたべる…ぅ……。