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男の子にかけっこで勝てなくなった日。腕ずもうで勝てなくなった日。変わったのは私自身ではなく私の立ち位置だった。性自認と恋愛、そしてジェンダーについて

初めて近所の子に会った。小学校に入る少し前。

福岡県民にはおなじみのホームセンター・ナフコで買ってもらった新品の自転車を家の前で乗り回していた。

「お~い!」

多分、暑くも寒くもなかった。あれは、春のことだったんだろう。真昼の日差しに目を細めながら声のする方向を見ると、2人の男の子が自転車に跨っていた。

「名前な~ん?」「ゆかり~」「いかりちゃ~ん?」「ちがう!”ゆ”かり!」

そう言葉を交わしたことは、未だに鮮明に覚えている。

初めて会う人。違う価値観。「そんな名前の間違い方ある!?」っておもしろかった。別に越してきたばかりというわけではない。かれこれ5年位は、そこに住んでいたはずだ。なぜかその日初めて顔を合わせたその男の子は、それからの小学校生活で、たぶん一番たくさん遊んだともだち。

田んぼ、エビ、水筒のコップ

小学校低学年のときに住んでいた家は、メインの通りから枝分かれになった100m前後の道の両脇に家が立ち並ぶ、ちょっとした住宅街のようなところだった。

もっとも、メインの通りと言っても数分に一度、一台だけ車が通るような、田んぼに囲まれた道だったのだが。

その住宅街に住む子どもは、同じ学年の子が私以外に2人、1学年うえの子が1人。そして、その弟妹たちが何人か。

「いかりちゃん」と呼ばれた日以来、どうやって仲良くなっていったのかはもはや思い出せないけれど、学校から毎日一緒に帰って、毎日一緒に遊んだ。男の子が2人、女の子が1人、そして、わたし。

学校からみんなの家までの道のりは、アスファルトで舗装された1本道。方向が同じ子で何人か固まって帰った。好奇心旺盛な小学校低学年の子どもたち。いま歩けばきっと10分ほどで到着してしまう道のりも、子どものわたしたちには退屈で仕方なかった。

学校から歩いて数100mの田んぼを覗き込み、「エビだ!」「エビがおる!」「チャレンジ(進研ゼミのこと)の付録のエビやん!」と騒ぎ、誰かが素手で掬おうとする。

その生き物がエビだったのかなんなのかは未だに不明だが、そのエビらしき生き物はすばしっこくて、とても素手では掬えない。

「なんか入れ物!」「入れ物ない??」みんなで探す。

「あるよ!」わたしは水筒のコップを外し差し出した。「いいの?」「いいよ!」当時の私の衛生観念は、『タニシの卵は毒があるから触っちゃダメらしい』という感覚があるくらいで、舐めてる途中で地面に落とした飴を『3秒以内だから!』と口に戻したり、水筒のコップで回し飲みも当たり前にしていた(しかも男女関係なく)くらいなので、だいぶ疎かった。

いま思えば不衛生だなと思うのだけれど、そうやってエビを捕まえて遊んだりした。

いつものメンバーで鼻を垂らして夕暮れまで遊んだ

また数100m歩くと、今度は家への近道がある。

舗装されてない、田んぼのあぜ道。車で通ると宇宙人のモノマネが出来るぐらい揺れるガタガタ道。

その分かれ道で、いつものメンバーが揃う。

あぜ道を通るだけでも充分に近道なのだが、一刻も早く帰りたいわたしたちはそれでは満足できない。道の間に通る川と、迂回する道が通っているのだが、そこには最高の近道がある。川にかかる太いパイプだ。調べてみると、これは水道管らしい。他にもガス、電気、電話の線が通っていたりもするらしい。

とにかく、川の幅は2mくらい。そこにかかったそのパイプの両端と中央にある絵に書いたお日さまみたいな放射状の金属。ランドセルと図書バッグを対岸に放り投げ、それに掴まって渡った。

小学生の私はそんな遊びばっかりしていて、放課後の遊びの定番といえば、「チャリ暴」「おうちごっこ」「探検」だった。

家の前の道を自転車でひたすら何周もしたり、砂場で草をすりつぶしたり、砂場と田んぼを遮る緑色のフェンスに空いた大きな穴を通り抜けて、田んぼの縁のコンクリートブロックの上を落ちないように渡ったりした。

だいたいいつも、まず始めはチャリ暴。それから疲れてくると、誰かの家で遊んだり、おうちごっこをしたり。たまにオプション的に探検をした。あるときにはちょうちょを捕まえて羽をむしる子にドン引きしたり、柳にとまったカミキリムシを一緒になって捕まえたり。

親が家から顔を出せば、すぐに姿が見える最高の遊び場だった。だから、夏場の陽が長い日なんかは、19時ぐらいまでおうちごっこをしていた日もあったなぁ。日が沈み始めてだんだん紺に染まっていくオレンジの空を目の端に捉えながら、「ごはんよ~」と呼ばれるまで鼻水をたらしながら没頭していた日もあった。

いつも遊んでた男の子に、かっけこで勝てなくなった日

近所の子、帰り道が一緒の子、小学校に入る前の親同士仲がいい人の子供も、ほとんどが男の子だった。

それに、こういう遊びに参加する女の子はあんまりいなくて、おしゃべりが得意じゃなくて外で遊び回る方が好きだった私の周りは、自然と男の子の方が多くなっていった。

全力でかけっこをしたり、自転車を漕いだり。いつもいい勝負をしていた。相手も手抜きなんてことはなかっただろう、たぶん。

それが変わってきたのは、小学校3年生くらい。

いい勝負をしていたのに、かけっこで男の子に勝てなくなってきた。いつも一緒に遊んでいる子だ。特別な練習をしているわけでもない。私と同じ場所で、同じ遊びをしている。なのに勝てなくなっていった。

たぶんその頃からだ。「男の子」と「女の子」そういう区切りで分けられることが増えた。よく遊ぶ子たちと同じグループに入れない。おしゃべりは苦手。ドッヂボールして遊びたい。だけど、女の子と教室でおしゃべりせずに、外に出て遊ぶ男の子の輪に入りたがる私は、だんだんと異質な存在になっていった。

ただ、楽しい遊びをしたいだけ。ただ、いつも遊んでた子達と遊びたいだけ。それなのに、なんだか周りからの見え方は違うみたいだ。

ある日の夕方。我が家の和室で、親同士で交流がある女の子と遊んでいた時。ある思いがふと頭をよぎった。「なんでわたしは女の子なの?」

梅の花の形をかたどった濃い茶色の木枠に、和紙のような素材が貼ってある照明。その明かりと窓から差し込む昼下がりの陽に照らされた黄色い部屋。い草の匂いに包まれて大きな木のテーブルに寄りかかったわたしは、正面にある真っ白なふすまをぼんやりと見つめていた。

いままでは負けなかった男の子に、腕ずもうで勝てなくなった日

小学4年生の頃、いままでは勝てていた子にも、腕ずもうで勝てなくなった。その頃には、あの日和室で思い浮かべた言葉のことはすっかり忘れていた。

「練習すれば勝てるよ」そう思っていた気がする。だけど、それまでは休み時間の度に挑んでいた腕ずもうの勝負も、それからほとんどしなくなった。

そんな頃、わたしは転校することになる。母の実家がある街に引っ越したのだ。

それまでの私は、青が好き。赤いランドセルは嫌。ズボンが好き。スカートは嫌い。かっこいい運動靴が好き。ハートマークは嫌い。それぐらい強く、「女の子らしさ」を遠ざけてきた。

だけど、転校した先ではそれなりに女の子として過ごした。それまでの私を知らない子たちと話すのは気が楽だったんだろうか。女の子のグループに自然に馴染めた。おしゃべりの楽しさを覚えた。それから、身体を動かす遊びに参加する女の子も多かったのかも知れない。

相変わらず、高いところから飛び降りたり、細くて高い塀を渡ったり、1m以上ある用水路を飛んで渡ったり、そんな遊びをしていたけれど、その顔ぶれは男女さまざまだった。

そういう遊びが、女の子でもできる。そう分かったことは、あの日和室で思い浮かべた言葉を忘れてしまうのに充分な出来事だったのかもしれない。

それに、身体的にも変化が現れだした。「自分の性」を疑う余地もなく、女性へと成長していった。スカートをはくようになった。キャミソールは着なくなった。体育の時間は不快に感じることが増えた。でも、自分の性別に対する違和感はすっかり消えてなくなった。

それなりに「女の子らしい」振る舞いもしようとしていたと思う。

私の性自認、そしてジェンダー

あの頃のわたしは「性別は男性、もしくは女性。なおかつ異性愛者」以外の性の分類を知らなかった。いや、聞きかじったくらいはあったかもしれない。けれど、正しく理解はしていなかった。

「なんでわたしは女の子なの?」そんな思いがはっきりとした言葉で頭をよぎったのは、たぶん、あの和室での一瞬だけだった。「女の子らしい」振る舞いや服装は相変わらず気持ち悪くてしたくなかったけど、「とはいえ性別は変えられるものじゃないし」というある種の割り切りを子供ながらに持っていたのだろう。

もしあの時、自分の性を自分で選べる可能性に触れていたとしたら、私はどんな人になっていたのだろう。

いまだに持ち出す必要のない場面で女性を強調することは、自分がする側でもされる側でも好きじゃない。

思春期も、もう少し大人になってからも、気が付かなかっただけでこの違和感はずっと消えていなかったのかも知れない。ただ、身体つきの女性性が人より顕著に現れたので、それを受け入れただけだ。

そうして過ごしてきて、今更自分が「女性ではない性かも知れない」とは思わないのだが、男性か女性というたった2つに色濃く分ける従来のジェンダーにはどこまでもニュートラルでいたいという気持が強くある。

だからきっとわたしは、身体の性は女性、心の性も女性、性的指向は異性愛者(たぶん)、そして、社会的・文化的な性、つまりジェンダーは、男性でも女性でもなく、ニュートラルでいたい。

こんなわたしも「女の子らしく」振る舞ってみた時期もあったし、だんだん染み付いて無意識にそういう言動を選ぶようになった部分もあるかも知れない。逆に、性別が持ち出される場面で嫌悪感を抱いたことも思い出せないだけできっと何度もあった。そうは言っても、幼い頃ほど強い嫌悪感は自分の性に対して無いのだけれど。

だけど、さまざまな概念が混ざりあった性を持つ人たちになんら違和感を覚えないのは、わたしもそういう風に、自分の性に違和感を持った記憶がぼんやりだけどずっと、頭の中に存在していたからなのかもしれない。

変わったのは私自身ではなく私の立ち位置

LGBT、Q、A、+。

分けようと思えばいくらでも細かく分けられる。

今まで無理矢理に「男性か女性か」に分けていただけで、意志を持った人間の性はそう単純ではない。

性的指向だって、いままで「当然異性を愛すものだ」という価値観が強く蔓延っていただけで、そんなに単純な話ではないのだ。

私は心と身体の性が一致していて、異性愛者。だけど、本当のところは「だと思っている」だけで確かめたわけじゃない。もしかしたらこの先、今はまだ自覚していないだけの違和感が芽吹く日が来るかも知れない。

かけっこで男の子に勝てなくなった日、腕ずもうで男の子に勝てなくなった日、初めてスカートを履いた日、キャミソールを着なくなった日。

いつだって、わたしはわたしのままで、変わったのは周りのひとがいる位置。周りが変化していったから、わたしの立ち位置も変化していっただけ。

だからわたしのジェンダーは、男でも女でもない、ただの人間。恋愛以外の場面であれば特に。わたしは「女性」ではなく、「ただの人間の入れ物がたまたま女性の身体だっただけ」ただそれだけの生き物だ。だから、必要もないのにやたらと女性として特別扱いされるのは気持ち悪いし、そう扱われるような振る舞いもしない。

性にはさまざまな種類がある。従来の女性らしさ、男性らしさを追い求めるのも良い。真逆の魅力を追究してみるのも良い。違う性に変わっても良い。それらをすべて超越して行き来してもいい。恋愛する人もいれば、その相手の性もさまざまで、恋愛しない人だっている。

重要なのはどう定義づけるかではない。どう在ればいまの自分がいちばんナチュラルでいられるかだ。どこに自分の居場所をつくるかだ。いまさら統一する必要なんて無い。周りの理解が追いつかないなら先に行くしかない。

あの日の和室で頭によぎった言葉を、最近よく思い出す。そういえば自分の性別に違和感をおぼえたことがあったなぁ、と。

いま、あの日の違和感の正体を知っているわたしは、いったい何者で、これからどんな恋愛をするんだろう。そもそもこれから先、恋愛をすることがあるんだろうか。

今日は久々に外に出た。行き交う車の音と周囲を白く照らすライトに包まれて、ぼんやりと考えながら雨上がりの湿った歩道を歩いた。

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