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母の死んだ日

母の死んだ日は、夏の終わりでした。
前日まで焼き付けるような暑さだったにも関わらず、急に肌寒くなった日でした。しとしとと雨の降りそぼる中、彼女は死んだのです。

自死でした。
それまでも、何度も彼女は自ら命を絶とうとし、失敗をしていました。失敗というよりは、わざと失敗をし、誰かに見つけてもらっては満足をしていたのでは無いかと思っていました。
薬を大量に飲んでも、それは大した量ではなかったり。自分で薬を飲んだくせに、自分で救急車を呼んだり。
彼女の残したスマホには私の知らない誰かに「私は4度も死にぞこなった。」と話していたけど。未遂のたびに病院から迎えに呼ばれた私としては、もっと多かった気もします。
半分、仮病のような大袈裟な不調訴えで何度も救急車を呼んで、その時も私が長女だということで呼ばれていたので、それと混ざってしまって、すでにカウントできないだけかもしれませんが。

だから。

それほど、驚かなかったんです。
冷たいかな。ああ、とうとう成功しちゃったんだね、と。

実際には、警察からかかってきた電話で話しながら、床に突っ伏してしまいましたけど。
電話でそのまま警察から、家族構成など色々聞かれていましたが、上の空で答えました。

でも。

ああ、成功しちゃったんだ。
満足したのかな。

そう、静かに思う自分と。

どうしよう、私、止められなかった。
違う、私が殺したのかもしれない。

私が夏の間に会いにも行かず、LINEで連絡すらもしなくなったからかもしれない。孫に会いたいと言っていたのに、あんなに不安定な母では、会わせたら何を彼等に言うかわからないという恐怖心もあって、会わせていませんでしたから。(実際に、得体のしれない不気味さのあるメッセージを、私に隠れて何度か孫に伝えています。スピリチュアル系が好きだったので、そういうメッセージだと言いながら。*スピリチュアルなものを否定している訳ではありません。)

色々な思いが腹の底から、ワサワサと湧き上がってきて、どうしたらいいのかわからなかった自分と。

そして、涙も出たとしても、すぐに止まってしまったんです。

ひとまず、私の妹と弟へLINE。仕事中なので、すぐに返事はこず。
そして、仕事中の自分の夫に連絡をしました。
義両親とは同居なので、警察からの電話を取ってくれたのも、私の横で一緒に泣いてくれたのも義母でした。
次に叔母に。母のすぐ下の妹です。遠方に住んでいます。
叔母への電話では、流石に泣いてしまいました。
何度も「あなたのせいじゃないよ、そんな気になっちゃだめだよ」と言われました。

電話を終え、考えてみたら、それ以外に連絡する人が居なかったんです。
彼女に関わる人間は、それほどに居ない状態でした。

これだけしか居ないんだな。
母の友達なんて、居たとしても私からは連絡できない知らない人でした。
家族ぐるみの付き合いのある友人などは皆無でした。


少しだけの連絡のあとは、バスに乗り電車に乗り警察に向かいました。
車の運転では、無事にたどりつけるか少し自信が無かったので。

移動の間も、警察についてからも、全然実感が湧きませんでした。

それはそうですよね。
まだ会っていませんから。

でも、実際に遺体とやっと会えても、実感は湧きませんでした。
顔は、それほど生前と変わらない感じでした。
いつもの病院へ迎えに行った時のように、ちょっと顔色悪く眠っているだけのような。

どこか、実はまだ動かしたら生き返るんじゃ無いかと。
「手を、手を握れませんか?」と、何故か警察の方にお願いしました。

防腐のために、身体は冷やされた袋の中に入れられていたので、とても大変だったと思うのですが、そんな急なお願いも警察の方はしっかり聞いてくれました。

やっぱり動きませんでした。
でも、どこか、まだ柔らかくて。
「なんで、なんで、そんなことしたのよ!」と手を握りながら、泣きました。
私の中の冷静な自分は、そんな自分がなんとなくわざとらしく感じてて。
「早くお線香をあげて、警察の方の作業を終わらせてあげないと」となどと思いつつ。

最後の母の手は、とても冷たくて。

顔も冷たくて。

病院で死ねていれば、ここまで冷たくなかったのにね。
何をしたんだか。もう帰れないよ。

その後は、何枚も書類を書いたり、もらったり。

急ぎで遺体の引き取りのため、葬儀屋さんへも連絡をしました。
葬儀屋も取り急ぎ決めなければならず、もし特に決めていないのなら、警察署の方から連絡のできる葬儀社へ連絡することになっていたのですが、すでに父もガンで他界しており、その時にお世話になった葬儀屋さんへ連絡をしました。

本来なら遺体を自宅に連れて行くそうなのですが、母は一人暮らし。
建物の入り口も狭く、とてもとても棺桶の入るような大きさの部屋では無く。
ましてや、義両親と同居の我が家へ持っていくわけにもいかず。
そもそもそこに1人連れて行っていいのか悩み、葬儀場の霊安室へ運んでもらうことになりました。

ここまでの作業、とても冷静にこなしていった自分がいました。
時には、警察の方の話に笑いながら答えたり。

ぐちゃぐちゃの自分と、なんとかせねばという冷静な自分が、腹の底で気持ち悪かったです。

その日、基本的には笑っていました。
他の人は、みんな私に優しかったですから。
笑っているほか、なかったんです。
泣くより、気が楽だったので。


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