他人との対話、自分との対話
人と話しているとき、
「こういう意図で、こんなことを言っているんだろうな。」
「今、こう思っているんだろうな。」
って想像しながら、相槌をうったり、リアクションしてきた。
「人の気持ちに敏感なのかもしれない」
って、ちょっと思っていたこともあった。
ただ、よくよく聞いてみると、実は全く違う背景で出てきた言葉だったり、リアクションだったりすることの方が多いことに、最近になって気づいた。
こういう意図だろうな、こう思っているんだろうな、って思っていたことが、実は、相手の気持ちや心の声ではなくて、私自身の気持ちや心の声だったということに気づいた。
「ううっ、もしかして、相手と話してるのでなくて、自分と会話してたのか…!?」
話が通じてないことが、沢山あったかもしれないなぁと。
ちょっぴり恥ずかしくなった。
いつも温かく関わってくださる皆さまに、改めて、ただただ感謝するばかりです。
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特に、仕事上で、価値観や歩んできた背景などに、共通点が少ない人と話すとき。
話を聴いて何となく分かった気になっていたけれど、
後からよくよく考えると、何を意図されていたのかが分からない。
自分が伝えたつもりだったことも、伝わってないらしい。
っていうことがあったのは、こういうことだったのか、と思う。
一方で、価値観や歩んできた背景、置かれている状況が似ている人と話しているときに盛り上がるのは、実は、何となく、会話がかみ合っているように思えるだけで、お互いに違うことを考えてるってことが、もしかしたら、あるのかもしれない。
そう考えると、人間のコミュニケーションって、面白いなあ、と思う。
思い込み抜きで「聴く」、言葉をシンプルに捉えて、わからないことを質問するっていうのは、基本のようで、集中力とエネルギーが必要で。
ちょっと気を抜くと、また自分のことを考えている笑!
恥ずかしいし、何だか申し訳ない話ですが、私にとって、面白い発見でもあったので、自戒を込めて書きました。
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場面によっては、自分目線で捉えて、リアクションすることがあってもいいよね…
と思うけれど、
自分一人ではできない何かを実現したいと思うのなら、自分の世界から一歩引いて、少し遠くから、自分と自分の周りを見てみるってことも、大事。
自分の考えは必ずしも正解ではないというか。
そもそも正解がないことばかり考える中で、
その考え自体、出会った人、目に触れ、耳にしたこと、色んなことに影響されながら、変わっていく。
何に影響されるかは、極力選んでいけたら良いなという気持ちもありながら、自分では予想もつかないハプニング的な出会いにまた影響を受けるのも、面白い。
私以外の人も、同じように、日々変わっていく存在だと仮定すると、「この人はこういう考えの人だ」っていう思い込みが、周回遅れだったりすることもあるかもしれない。
仕事の仲間も、なかなか会えていない友人たちも、いつも一緒にいる家族も、日々変わっている。
お互い人間同士。
シンプルに、肩の力を抜いて。
相手の話を聴いて。
互いを知って。
進む方向を確認して。
動いて。
また話して。
ってことの繰り返しで、物事は、結構ハッピーに進んでいくのかもしれないなぁと。
今日は、ちょっと楽観的に締めくくってみます。
ここ最近の数えきれないほどの出会いやハプニング、悶々とした日々。
そして、大切な人たちとの対話の、総まとめのような…
秋の夕べのつぶやきでした。
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