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私の育休体験記①~初めての出産前後のエピソード~

育休を3回取得した私の、育休体験記。
第1子の出産、産前・産後で「印象に残っていること」「やって良かったこと」を綴ります。(今から6~7年前。2014年の話です。)

簡単に纏めてみよう!と思って書き始めたのですが、書く前には予想もつかなかった展開…。里帰り出産した私の「ふるさと愛」が溢れ出すという結果に…。「つながり」・「チャレンジ」が、私にとっての重要なキーワードであることを再認識するような内容になりました。

<産前>

①地域のパパママ学級に通う

近くの保健所で開設されていた区主催のパパママ学級3回コースに通う。
お産の進み方、先輩ママの経験談、赤ちゃんのお世話の仕方、赤ちゃんを迎えるにあたり準備するもの、妊娠中の体調管理など。ご近所のプレママと一緒に、様々なことを学ぶ。講座の後、そこで出会った5人でランチに行き、私にとって、初めてのママ友ができる。LINEグループができて、出産に向けた不安を話したり、赤ちゃんグッズなどの情報交換などもしながら、それぞれの場所で出産を迎える。産後も、ゆるくつながり、子連れでの会食の機会も楽しむ。

②鹿児島の実家への里帰り

産休に入ると、直ぐに実家に帰省。久々に、母娘水入らずの時間を過ごす。地元の自然の豊かなスポットや思い出の場所を巡ったり、カフェでランチをしたり。地元の素敵な場所や文化を再発見する。実家のある日置市の、吹上浜の近くの「正円池」というところにホテイアオイを見に行ったこと。アジサイが綺麗に咲いていて、沢山トンボが飛んでいたこと。日吉の「せっぺとべ」という、白装束を着た地元の人々が、田んぼの中でドロドロになって踊る、お田植え祭りを見に行ったことも、とても心に残っている。自然豊かな日吉の田園地帯や、陶芸で有名な美山などに点在する唯一無二のお洒落なカフェで、母と共にゆったりとリラックスした時間を過ごす中で、短い帰省だけでは気づかなかった地元の魅力に気づき始めたようにも思える。

※正円池(https://www.kagoshima-kankou.com/guide/10816/
※せっぺとべ(https://www.kagoshima-kankou.com/event/20219/


③産前ヨガに通う

産婦人科は、実家から徒歩3分のところだった。
前の年に、同い年のいとこがそこで出産したこともあり、東京で妊婦検診を受けていた病院からの紹介状を持っての受診でも、安心できた。
院長先生に「良く帰ってきたね~。」と温かく迎えてもらう。
産院で開設されていた産前ヨガに挑戦。
それまでの妊娠期間、あまり身体を動かせていなかったので、気持ち良い時間を過ごす。出産に必要な「呼吸」の仕方を身に着ける。

<出産>

予定5日前の夕方、母と買い物に行ったホームセンター「ニシムタ」で陣痛が来る。
「痛たたた。」と言いながら、買い物をして帰る。
初回のお産は時間がかかると聞いていて、陣痛の感覚も長かったので、近所の美味しい鶏屋さんに唐揚げを買いに行く。
出産に向けて元気をつけようと、「痛たたた。」と言いながら、唐揚げを食べる。
準備をして20時頃、産院へ。まだ生まれないとのことで、母は家に帰り、一人で入院。夜だったので、部屋は暗かった。これから起こる得体のしれない『お産』という出来事が、どう進んでいくのか。事前に学んで頭で理解はしたけれど、やっぱり不安。暗さの中で痛みに耐えるのはやっぱり辛いし、色んなことが頭をよぎる。
朝方、生まれる兆候が見えてきたとのことで、母に連絡。母から夫にも連絡。夫は朝一の飛行機で飛んできたものの出産には間に合わず。
助産師さんの丁寧なサポート、母に見守られながら、「呼吸」を意識。
7時間ほどで、元気な男の子を出産。

<産後>
①産後レビューを書く


助産師さんが用意してくださった自分自身のお産にのぞむ気持ちや、お産で感じたことを書くレビューシート。その時、感じたことや想いをぎっしりと書く。

~産後レビューの一説~
「自分がこんなに叫ぶとは思っていませんでした!」

②生まれたてホヤホヤの我が子に対し、初めましての感覚を味わう。

初めて人に名前を付けるという経験。
音と響きも大切にしながら、様々な想いをつめ込んでつけた名前。
確かに自分のお腹から出てきた我が子なのだけれど、呼び捨てでは呼べない感覚があった。
この子は自分の「もの」ではない。守らなければならない存在だけれど、やっぱり、初めて出会う「一人の人」っていう感じだったのかなと思う。
結構長い間、他の人に息子のことを話す時も、くん付けで話しそうになっていたのを思い出す。こんな感覚、同じように感じた方いるのかな…。

数日して、今でも呼んでいる呼びやすいニックネームで呼び始めたけれど、毎日呼んでいると、その名前と顔がマッチしてきて、しっくりしてくるのも、何だか面白いなと思う。

③里帰り先の鹿児島の実家で産後2か月を過ごす

庭のある一軒家の実家。約1か月は買い物などに出ることはなかったが、門のポストまで新聞を取りに行ったり、母が植えた花を眺めたり、庭の木に飛んでくる鳥を見たり。メダカの卵が生まれて、息子の成長とメダカの成長を重ね合わせたり。夜泣きなどはあったけれど、何だかそんな自然に癒されながら、母と二人、あーでもない、こーでもないと言いながら、息子の日々の成長を楽しんでいた気がする。
私が18歳の時に他界した父にも、孫の顔を見せたかったなぁ。というのは、いつも感じていたこと。父の一文字を、長男の名前につけられて良かったなと、思っている。

~お宮参り~

東京で仕事をしている夫は、生後1か月のお宮参りに合わせて来鹿。
息子のお宮詣りは、近所の徳重神社。毎年初詣に行っていた神社に、夫と息子、母と私の4人でお詣りに。子どものころは、毎年秋に行われる鹿児島の三大行事の一つ「妙円寺詣り」に参加し、甲冑姿の武将隊を見ながら、お詣りをしたものだった。
神社でお詣りした後は、記念撮影。伊集院駅前にある「児島写真館」。先代の時からお世話になっている写真館だ。というのは、小学校のイベント毎も、成人式も、いつもこの写真館の方が撮りに来てくれていた。気さくなご夫婦とスタッフの方が、生後1か月の息子のペースに合わせて撮影をしてくれる。とても和やかな時間だった。
写真撮影の後は、4人で老舗「徳光軒」という料亭へ。徳光軒は、私の両親が結婚式を挙げた場所で、私のお宮参りも、そこで行ったそう。残念ながら私の記憶には写真と母の話しか残っていないのだが、ひいばあちゃんが、そこで、私が生まれたお祝いに踊ってくれたそうだ。
そんな光景を想像しながら、写真撮影に疲れてぐっすり寝ている長男を見ながら、名物のうなぎ料理に舌鼓。

~地元の親戚が、友人が、近所の人が、出産祝いに来てくれた~

長男と実家で過ごしていて、結構な頻度で来客が来てくれた。それが楽しみでもあった。親戚、友人、そして、母の友人や、小さい頃にお世話になった近所の方まで。息子を抱っこしてくれて、ゆかりちゃんの小さい頃に似てるね~!とか言われると、とても嬉しくなった。実際は、夫に激似だったのだけれども。
子どもの誕生を一緒に喜べるつながりが、足を運べる距離に、たくさんあるって、本当に幸せなことだなって。恵まれていたんだなって。
故郷を離れて暮らす今、人と気軽に会うことのできない今になって、改めて思う。

~親族が、友人が、長男に会いに、鹿児島観光に~

私の里帰り中、夫の両親・妹夫婦に姪っ子、そして私の友人夫婦が、長男に会いに、鹿児島観光を兼ねて、訪ねてきてくれた。
夫の両親ご一行は、観光で、鹿児島の名所を巡ったそう。鹿児島中央部にある福山町の「黒酢の郷」や、桜島、そして、鹿児島の薩摩半島の南にある指宿の方まで足を延ばして楽しんだそうで、今でも、その時の話を良くしてくれる。
また、友人夫婦は、屋久島で登山も楽しみ、レンタカーで我が家まで会いに来てくれた。里帰り出産をしたことで、大切な人たちが鹿児島に来てくれた。鹿児島を楽しんでくれた。それが、嬉しかった。

※黒酢の郷(https://www.kakuida.com/kurozu/fukuyma-city)

④児童館の乳児クラブや図書館のお話会に通う。

実家から東京に戻り、いよいよ家族三人での生活がスタート。
やっぱり東京に戻ると、何かピリリと緊張感は走る。
私は「良き妻」であり、「良き母親」でなければならないという、どこで教わったのか、自然に身に着けたのか分からない「妻像」・「母親像」に、違和感を覚えながらも、日々の育児と家事に励んでいた。
だから、多くの新米ママがそうであるように、思うようにできなかったときには、罪悪感を覚えたし、自分を責めたりもした。

離乳食に大人のご飯。もともとそこまで料理を作っていなかった私が、スマートにできるわけがないのに、離乳食に冷凍食品やレトルトは使わない!などと、便利食材や便利グッズを使ったりすることを敢えて避けて、自分にプレッシャーを強いていた。他にも色々とやることがある中で、時間がかかって、しまいには疲れてしまう、そして、子どもが泣き出して自分も泣きそう…みたいなこともあった。

友人が訪ねて来てくれるときは、スマートに育児も家事も楽しんでいる自分を見せたいがために、少しピリピリしながら部屋を必死で片付けて、収納に収まり切れないものは、扉のある部屋に、全部突っ込んだこともしばしば。

でも、今となっては、もっと楽にいても良いんだよ~と、当時の自分に言ってあげたい気もする。段々と、自分ができることはこのくらいなんだなとか、そこまで突き詰めて頑張らなくても何とかなるとか。そんなことが見えてきて、少しずつ肩の荷がおりてくる。時間がたつと、そういうこともあるのかもしれない。

家にいると、「片付けしなきゃ」とか、何かと気になって、落ち着かない私にとって、息子と外に出る時間は、とても良い時間だったと思う。
児童館の乳児クラブや、図書館のお話会。曜日と時間が決まっていて、定期的に行けば、同じくらいの子供がいるお母さんと話ができて、顔見知りになれた。ちょっとした困りごとを共有したり、情報交換をすることもできた。

そこで仲良くなった親子グループで、子連れカフェに行ったり、公園にお花見に行ったり、息子が生後8か月で保育園に入園し職場復帰するまでの短い期間だったが、とても豊かな時間だったと思う。社会人になってから、仕事以外にほとんど新たな出会いがなかった私に、子どもをきっかけに、心を開ける友人ができ、子ども達の成長を共に楽しみ、これから子供が育っていく街のことを少しずつ知っていく。そんな時間だった。

⑤英語で話す友達を作る。

しばし東京で過ごした後、年末年始を挟み、ここぞとばかりに、長男とともに長めの帰省をした。実家でゆるやかな時間を過ごす中にも、どこか刺激を求めていた私は、国際交流のサイトを見つけ、アメリカ在住のフィリピン出身の同年代の女性と友達になる。
半年後に日本に観光に来る予定があり、日本のことを知りたい!日本語も勉強中!という彼女とのLINEでのやりとりを楽しむ。日本のことを紹介したり、近況を語ったり。そんな中で、英検準一級に挑戦し、合格。二次試験の面接に合格できたのは、友人にオンラインで練習に付き合ってもらい、そこで話した話題がちょうど面接に出たからだと思っている。確か、女性活躍についての話題だったと記憶している。

新卒からずっと同じ会社で、一つの部署しか経験していなかった私は、何か焦りを感じていて、自分自身を高めるものとして、昔から好きだったけれど、話すことに自信のなかった「英語」を日常に取り入れたいと思った。当時、スマホの画面表示をENGLISH表記にしていたことも記憶している。
そして、「確かなもの」として「資格」が欲しいと思っていたのだと思う。

職場復帰して、仕事で英語を話す機会があったかというと、7年経った今でも残念ながら「ない」し、資格を取ったことが、何かの役に立ったかというと、特に思いつかない。でも、資格を取ったことは、一つの自信、というか、私自身にとってのお守りのようなものには、なった気がするし、この資格に見合う会話力をつけたいと、英語を学び続けたいと思うモチベーションにはなっている。

また、この友人が、翌春に弟と一緒に来日した際の出来事も、とても心に残っている。少し緊張しながら新宿御苑で待ち合わせしたこと。長男も一緒に、ピクニックして、お弁当を食べながら会話したこと。長男を抱っこしてもらい、たくさん「Cute!!」と言ってもらったこと。お土産を買いたいと言うので、帰りに新宿の「ドン・キホーテ」を案内したこと。とても嬉しかったし、時を経ても、心地よく思い出される、小さなチャレンジと、つながりのエピソードだ。


以上、第1子の産前・出産・産後で「印象に残っていること」「やって良かったこと」。取りとめないけれど、私にとっては大切なエピソード。

次は、第1子の職場復帰のエピソードを綴ってみようと思う。

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