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生まれ持ったものと環境で生まれたもの

#1ヶ月書くチャレンジ Day 5は
「昔はどんな子どもだったのか」

よく母に聞かされる私の幼稚園の時の話がある。
先生が「好きな折り紙取りにおいでー」というと、
みんな我先に取りに行き、自分の好きな色の折り紙をとっていく。
その中で私はのんびり最後に取りに行き、それが茶色とかでも楽しく折り紙で遊ぶ子だったと。

その話をすると、マイペースだったんだね、優しいね、その頃から今の友加里んだねって言われる。
幼稚園児で私という軸はもう出来上がっているということなのだろうか?

たしかに息子を見ていると3歳の時点ですでにたくさんのこだわりを見せて、息子の個性を爆発させている。
好きなものは好き、嫌なものは嫌がはっきりしている。
私にも妹にも近所のお友達にも優しく声をかけてくれる。
本当に繊細で、いろんなことに敏感に反応する。
これが大人になるまで変わらないのだろうか?

ふと私の幼少期を振り返ると
誰かの前で表現すること、リーダーシップをとることが好きだったことを思い出す。
でも色んな傷ついた経験から裏方へ、裏方の喜びに本来の「好き」に蓋をしている部分もある。
最近モーニング・ページ(ジュリアキャメロン『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』に書かれている朝3ページノートに思っていることを書くワーク)をやっているのだが、そこでも自分がやりたくて蓋をしてきたことに気付かされている。
多くは書かないが、親の影響や周りの環境でそうなってきたことが分かってきた。

つまり本来生まれ持ったものが環境によって生まれたものに覆い被されていくことはあるということだ。
それが良い時もたくさんあると思う。
私も自分の家族は仲が良くなくて苦しんだけれど、今の自分の家族は違う。
それは、今まで幸せなご夫婦や家族にたくさん出会えたからだ。

息子には今の良いところがそのままに
自分を苦しめるところは、環境の中で生まれたものに守られながら
自分に蓋をしないで生きていってほしいなと思う。

園長先生に先日言ってもらった言葉がある。
「息子くんの繊細さが強さになる時が来る」
今は本当にその繊細さで苦しい思いもしている息子だけれど、
それが誰かに優しくできる種になったり、
自分を守る盾になったり、
何か強さになる時がきますように。

あれ、昔どんな子供だったか?が、成長することと性格みたいな話になっちゃった!
それもそれ!

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