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ママのこと

 こんにちは はじめまして ゆかっぱと申します。
50代から正社員として働くシンママです。
シンママと言っても、子どもたちの3/4は成人してるので
ずいぶん楽なシンママです。

 ママ これは私の母の話です。
ママは今から半世紀以上前のシンママでした。
その当時は「片親」と呼ばれ、良くて「母子家庭」、
もっとすごいのは「てて(父)なしご」なんて言われちゃったりする時代に
ママは生後三ヶ月の私を抱えて離婚しました。
 離婚原因はよく知りません。最期まで教えてはもらえなかったので。
物心ついた頃から「ママがワガママだったから離婚したの。貴女のパパは
とても素敵な人だったのよ」そう言われて育ちました。
小学生の頃、偶然に父と出会うことがありました。
実の娘とは気づかずに酔って絡んでくるような人でしたので
瞬時に色々察したわけですけどね。
子どもって、そういうところ鋭いですから。
ママから聞いた数少ない情報を元に推理すると
「最初から愛のある結婚ではなかった」のだと思います。

 なぜそんな結婚をしたのか
それはママの出生に大きく関わっているので
私の祖母のお話に少しお付き合いください。

祖母はそこそこ良い生まれでありながら
かなりのぶっ飛んだ女性でした。
若かりし頃に写真を見ると、清楚で可憐で本当に可愛らしくって
(おばあちゃんになっても可愛らしかったですよ)
まるで朝ドラ主演女優さん。
しかしそんな外見とは裏腹に感情の起伏が激しくて自分勝手 
なのに情に脆くて困っている人を放っとけない。
感情がジェットコースター。
また和裁の教師でお弟子さんも数人いたというバリキャリ祖母、
教えるだけでなく仕立ての腕も良く、依頼は後を経たなかったそうです。
そのせいでしょうか家事は全くしなかったそうです。
もちろん祖父とて専業主夫だったわけではありません。 
代々刀鍛冶の家に生まれた祖父ですが、婿入りした後は
煙突掃除など様々な仕事を請け負っていたそうです。
家事育児をこなしながら。

また祖母は、生まれつき心臓疾患を抱えながら5人の子供を産み、3人が死産。
さすがに心身ともにダメージを受け
親族の営む湯治場で一人、静養していたことがあったそうです。

 ここから先は、知人から聞いた話なのでどこまで真実かはわかりません。
でも私の知っている祖母なら、さもありなんのエピソードなのです。

 祖母はそこである男性と出会いました。
どこぞの旅館の若旦那だったそうです。
東京の音大出身、河原でバイオリンを奏でる彼を見て
ロマンティストで恋愛体質な祖母は、あっという間に恋に落ち
母を身籠りました。
祖母がロマンスの真っ只中にいる頃、
祖父は仕事をしながら、10歳の娘と9歳の息子の面倒を見ていました。
それに、母の生まれは昭和19年
そう第2次世界大戦の真っ只中だったりするのです。
色々びっくりです。

さらに驚きなのは
祖父は祖母を受け入れ、ママを実子として迎えたこと。
どんなに考えても祖父の気持ちはわからないけど
「祖母を愛していた」これに尽きるのかな?と。

私の知っている祖母は本当にワガママな人でした。
案の定、長男の嫁と折り合いはとんでもなく最悪で
私の世話のためを言い訳に、年の半分は東京で暮らしていました。
一人で苦労している自分の娘、ママに
「誰か金持ちの爺さんの愛人にでもなれば、もっと楽できるわよ」
なんてさらりと宣ったり。
高校生の私が門限を破って家に帰った時は
「彼氏とデートだったの?(いや、女友達とおしゃべりしてただけなんだけど)
いいよ、ばあちゃんには嘘つかなくても(ん?嘘じゃないんだけどな)
ママには黙っておいてあげるから。彼氏と仲良くね。(そうじゃないってば)」
なんて庇ってくれたり。
入退院を繰り返しながらも
「田舎の空気は身体に合わないの。私は東京のスモッグの中にいる方が
元気になれるみたいよ。私はスモッグばあちゃんだね」
そう言った笑顔は本当に魅力的でした。
「ファムファタル」そんな言葉がよく似合う人でした。

 たとえ彼女が「ファムファタル」だったとしても
祖父の愛情の深さは計り知れないと思うのです。
自分の血を引いていないママを我が子同様、いえそれ以上に
大切に育ててくれたのですから。
もちろんママも
感情の赴くままに怒鳴り散らしたり手を上げる祖母より
物静かでいつでも深い愛情で包んでくれる祖父が大好きでした。

働きながら黙々と家事をこなす祖父の助けになりたいと思うようになったママは
小学生の頃から台所仕事を受け持つようになりました。
年の離れた姉は祖母のアシスタントをしていて家事はノータッチ。
兄は昔ながらの長男気質でそう言ったところには近づきもしなかったようです。

その頃のママは近所でも評判の美少女で
学校の成績も良く、芸事にも秀でていて
バレエと日舞の初舞台は3歳だったそうです。
明るくおおらかで人の心を惹きつけて離さない
まさにアイドルだったのでしょう。

ある日のこと
祖父が煙突掃除の仕事帰り、同級生と遊ぶママを見かけました。
「こんな煤だらけの父親が話しかけたらきっと恥ずかしい思いをするだろう」
そう思った祖父はママに気づかれないように遠回りをしようと思ったその時
「父さーん!」と大きな声で叫びながら抱きついてくるママ。

祖父にとってママは
血縁があろうとなかろうと、最愛にして自慢の娘だったに違いありません。

高校演劇コンクールの全国大会に出場。
ママは全国優勝を勝ち取ります。
それをみた大手映画会社や芸能プロダクションが
スカウトに駆けつけた時
初めて祖父はママの意思に反対したそうです。
自分の手元から離したくなかったのでしょう。
同じ理由で大学進学も諦めたママは
地元で大手化粧品会社の美容部員として就職しました。

地元で就職したはずなのに、数ヶ月で東京本社に栄転が決まったママ。
今回ばかりは祖父を説得し、上京しました。
 初めての正月休みに帰省したママ。
実は東京では大卒の先輩方を差し置いて昇進したため
「田舎者」とか「上司に取り入ったから」などと
あらぬいじめを受けて疲れ果てていたそうです。
反対を押し切って上京した事もあるけれど
それでも応援していてくれる祖父にはそんな愚痴は言えませんでした。
「ほらみろ、もう帰って来い」そんなふうに優しく言われたら
そのまま甘えてしまうのは目に見えていたので
どんなに東京が楽しいかを夢中で話すしかなったそうです。
たとえそれが作り話でも。
当然、祖父はそれが嘘だと気がついていても静かに微笑みながら
聞いてくれていたのでしょう。

東京に戻る日の朝
祖父は駅まで見送りに行きました。
「身体には気ぃつけろな…」
それだけ言うとただママを見つめて涙を流しました。
「やだなぁ、父さん泣かないでよ。また夏には帰ってくるし
手紙もたくさん書くから…」
そう言うママも泣いていました。
汽車が東京に向かって動き出してからも
ママは泣き続けました。
なんでこんなに悲しいんだろう。
なんで心細いんだろう。
なんで胸が苦しいんだろう。
その理由はわからないけれど
ただただ泣き続けました。

祖父はママを見送った直後ホームで倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。

ママは自分を責めました。
もっと一緒にいれば良かった。
東京なんかに行かなければ良かったと。
頑張って成功した姿を見せたかった。
ずっと自慢の娘でいたかった。
なのになんで。

祖父と血が繋がっていないことを聞かされたのは
初七日の朝だったそうです。
仏壇の前で泣いて謝る祖母を見つめながら
氷のように冷たくなっていく心とは裏腹に
頭の中ではずっと感じていた小さな違和感、疑問
点と点がどんどん繋がっていくのを冷静に見つめていたそうです。
このことを知らなかったのはママだけだったと言う事。
祖母がママにはどこか冷たかった事。
姉も兄も顔形が似ておらず、なぜかよそよそしい事。
ママが通るとピタッと話をやめる近所のおばさん達の愛想笑いの事。
祖父だけが守っていてくれた事。
そして、その祖父はもういない事。

これ以上頑張れなくなったママは無理を言って地元に戻ってきました。

祖父の一周忌が過ぎた頃
兄の結婚話が持ち上がりました。
この頃のママはもう誰かの自慢の娘でもなんでもなくて
半分しか血が繋がっていない厄介者の妹となっていました。
「小姑がいると嫁も迎え入れられないからな。
 お前も見合いでもして早く嫁に行ってくれ」
包み隠さず追い出そうとする当時の伯父に潔さまで感じます。

このあと ママに更なる悲しい別れが訪れます。

続きます。





















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