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曇り空のパラグラフ

前書

 旧Twitterの頃からXを使い続けて、もうそこそこ長い。しかし先日、ふと気がついてしまった。文章家でありながらそれらしいことをほとんどまったくつぶやいていない事実に。これはいけない、せっかくのツールだのに。

 そういうわけで、せめて朝の挨拶だけでも何か気の利いたものを書こう、と思い立って、毎朝窓の外を眺める習慣がついた。こんな感じ。

 早いものでもう数日もすればひと月になる。せっかく考えたものであるし、言葉の意味を間違えて使っていないか調べたりもするので多少は勉強にもなっている。何より短くても随筆は随筆、ということで何日かごとに自分の朝ポストを、note用に体裁を整えながらまとめていこうと思う。


6月23日

――昨日から降り続いていた雨も夜明け前には止んだようだった。雲間からは青い空が、わずかばかり顔をのぞかせる。 濡れたアスファルトのきらめきと、まだ少し冷たい空気とが、朝の静けさとも相まって心地よい。

6月24日

――小鳥が鳴いている。昨日から降り続いていた雨も、と前日の繰り返しになるのは、この時季には仕方のないことかもしれない。いつも同じところにできる水たまりが昨日のよりは小さかったから、日中はともかく夜中の雨量は少なめだったのだろう。それでも、空はまだ曇りがちだ。

6月25日

――辺りは仄暗い。昨日さほど変わらない時刻だ。雨は降っていないが雲は厚く、降下の機会を待ちわびているようにも思える。今は冷たさが心地よいそよ風も、気温が上がれば生ぬるい湿気を含んで肌に纏わりつくのだろう。間違えて真夏にエアコンを暖房運転させてしまった時のように。

6月26日

――鈍色の雲は今なお頭上に重くし掛かっていて、散りそうな気配さえない。日差しのない朝が続いて幾日かになる。やがて重くなりすぎた雲の端々が星の引力に引きちぎられて、また地上へと降り注ぐのだろうか。昨日までと同じに。 梅雨明けは少し先の話になりそうだ。夏はまだ遠い。

6月27日

――太陽の見えない夜明けはまだ続いている。空に浮かぶのは暗雲ばかりで、そろそろ見飽きたと言わざるを得ない。明度の下がった景色の中、電柱やアスファルトは夜中の雨に打たれて材料の色が際立ち、黒レベルが上がったかのようだ。水玉きらめく木々の緑だけが鮮やかに揺れている。

6月28日

――このところ曇りがちな朝が続いていたといえ、一日の始まりを雨で迎えるのは実は久々だ。暗い雲は空だけでは飽き足らず、遠くの山々をも覆い隠している。小鳥の囀りで賑やかな季節のはずが今朝はすっかり鳴りを潜めていて、代わりに鳴いていた一羽の烏もどこかへ行ってしまった。

6月29日

――昨日からの雨は一旦止んでいる。しかし山の端には霧とも雨雲のふちともつかない水の粒の群れがまだ居座っていて、晴れ間が見えるのはもう少し先の話になりそうだ。静かで穏やかな時間が流れている。時おり自動車の走行音がよぎったかと思えば遠ざかり、朝の向こう側へ消えていく。

6月30日

――天気そのものは変わり映えしない曇りがちの空だが、昨日の静けさに比して今朝は小鳥たちがずいぶん賑やかだ。耳を澄ませてみると、特徴的な高音のさえずりの中に、昨日まではしていなかった、低く小さな夏の虫の声が交じって聞こえ、巡る季節の境目に立っているような気がした。

🌥️

 いかがだったろう。同じ季節の同じ時刻に同じものを見たとしても景色や空気感は微妙に異なっている。俳句や短歌によってその繊細な違いが表現できるなら、140字(実質ほぼ130字ではある)のポストにできないはずがなかろう――などと安易に始めてみたXの朝ポストであるが、微妙に異なっている、というのは言い換えればだいたい同じということである。わりと悩む。しかしながらこうして並べてみると、ゆっくりとした季節の移り変わりは確かに感じられているのかな、とも思う。
 とりあえず7月も続いているので、また何日かごとにまとめていきたい。

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