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なんかこう、プラス思考まっしぐらでひたすら耳ざわりのいい言葉を並べ立てるポジティブ説教みたいなこともできないではないけれど、そういうのは他の人に任せて、ここではもうちょっとゆるやかに、のんびりと構えて話をしたいと思っている。泰然自若。 人生それなりに辛く、それでいて月並みな不運不幸に見舞われてハムレットみたいな問答を繰り返した時期もあったわけだけど、ま、とりあえず何とかなってきたと言えるんだろう。今こうやって生きているし。 あきらめなければ何とかなる、とは究極のところ
キラキラ輝く夢や希望、それを語る言葉。強烈で華美な刺激、燃えたぎる情熱。そういうものから一定の距離を置くようになったのは、いつからだったろう。 若いうちはそれでも良かった。それしか知らなかったと言い替えてもいい。理想とする未来に、どこまでも邁進していけると、誰もが信じていただろう。テレビの画面やニュース記事で取り上げられる仄暗いニュースは、自分にはそれほど関係ないと。 では、歳を重ねてみて、どうか。 自分の意思だけではどうにもできないことだってある。描いた理想に進む
ここしばらく、のんびり、とか自分のペースで、といった生き方論をいくつか書いているけど……。 熱のこもった言葉、そういった態度、いわゆるアツい気持ち、というのがキライなわけではない。ただ、あんまりしょっちゅう『アツさ』に触れてばかりいると、ちょっと疲れてしまう、というだけで。ああでも、暑苦しさというか、体育会系のノリは苦手かな。 無理せず自分のペースで、というのは大事なことではあるけれど、気持ちが穏やかになりすぎてしまうと、自覚のないまま緩やかに静けさの海に沈んでしまう
ここ何年か続けて買っている占い本、一年の傾向とともに、ひと月、一日単位でのアドバイスが載っている。で、今日の日付のところにはこんなことが書いてあった。 大きな変化を求めて動き回るよりも、いまある幸せに気付くほうが先決。 今月ちゃんと、変化はあった。このままの流れでさらに上へ上へと、他の人と比べると、まだまだ少ない方だからと、ついそう思ってしまいがちだけれど。 ここまでの間に積みあがってきたもの、私を支えてくれた、生かしてくれた人たち……それらも、すべてが『しあわせ』
いつでも夢を追っている。漠然と夢見ていただけの時期が長かったのだけは残念というばかりだが、ようやく、きちんと形に残るものも出来た。肩書も言ったモン勝ちだ。私はよりよい私としてこれからも生きていく。 ただ。ここまで、一度も心揺らがずいたかといえば、そういうわけでもない。安定した職から得られる安定した生活、退屈な忙しさの中でささやかな愉しみをちびちび味わいながら過ぎてゆく普通の日常、仲間内でほんのりと輝くくらいの力はある自分――そういったものを手放してしまう、となったときには