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だってひとりでも歩けるのに

恋人同士がおこなうスキンシップの中で、実はもっともすごいのって「手をつなぐこと」なんじゃないかと思っている。

もちろん、もっと多くの面積がふれあったり、より濃密だったりするコミュニケーションはたくさんある。ハグとかキスとかセックスとか。
でもそれらは、なんというか“欲求に駆られてする”感が強い気がするのだ。基本的に相手が恋人であることを前提とした行為だし、ひとりでは成り立たないことばかりだから。

しかし、手をつなぐことは違う。
正確には「手をつないで歩くこと」といったほうが良いかもしれない。

まず、ふれあう面積が大きいわけでもなし、欲求に駆られておこなうことだとは言い難い(ちなみに、腕を組むのはまた別問題だと思う)。

そして何より思うのは、だってひとりでも歩けるのに、ということだ。
幼い子どもじゃあるまいし、誰にも手をひかれなくても、わたしたちはちゃんと前に進むことができる。
身の安全に目を配りながら、迷ったりはぐれたりしないよう気を付けながら、目的地へ向かうことができる。つまり、ぜんぜん必要じゃないのだ。

それなのに、恋人同士はわざわざ手をつないで移動する。
街を歩くときも、コンビニへの道のりも、ウィンドウショッピングの最中も、水族館の順路でも、時に電車や車の中でだって。

きっかけは、かつて恋人と電車に乗っていた時、正面の窓ガラスに映る自分たちの姿がふいに目に入ったことだった。

吊り革だってあるし、ひとりでもちゃんと立てるのに、なんで手をつないでいるんだろう。
これってもしかして、無意識的かつ最大級の愛情表現なのではないか……!?

とんでもない真理に気づいてしまったとばかりにその旨を彼に伝えると、ちょっと言っている意味がよくわからないというふうに困惑されたのだけれど、そんなこと構っていられないくらい、わたしはとても興奮していた。

つながなくてもいいのにつなぐ手と手。
究極の愛だと思う。

次に恋人と会える見通しの立たない現状はかなりシビアだが、とはいえ手をつなげないからといって、ハグやキスほどに切羽詰まることは決してない(ハグやキスはとても切羽詰まる)。
流行りの言葉を用いるならば、まさに不要不急のスキンシップといったところだろうか。

でも、それでも
わたしは今とても、恋人と手をつなぎたい。

恋人と手をつなぎたい。

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