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星を掬う

兵庫は神戸、灘区に位置する摩耶山をご存知だろうか。
その展望台から望む夜景は、函館、長崎と並ぶ「日本三大夜景」の一つとしても名高いものである。

昨日、はじめてこの夜景を観に行った。
神戸の街中からうねうねした山道を車で走ること約40分、展望台付近の駐車場に到着する。

そこから展望台までは、さらに歩いて約10分ほどである。

摩耶山の展望台は、その名を「掬星台(きくせいだい)」という。
なんでも "この展望台から、手で星を掬(すく)えそうである" というのが名前の由来だそうだ。

「星を掬う」て、素敵な響きすぎるやろ…
と、その時点で完全にノックアウトされてしまう。


ずんずん歩いてひらけた場所に到着すると、もう掬星台は目の前である。
生い茂る木々の間からきらきらが垣間見え、わたしの心臓は痛いほどに高鳴った。

言葉の無力さを知るのはこういう時である。

さすがは1000万ドルの夜景。
あまりの絶景に息を呑むも「綺麗」以外の言葉が出てこない。
見渡す限りに輝く無数の光の連なりは、ため息が漏れるほどの美しさであった。

目をこらすと、夕方目の前で見たポートタワーや観覧車がこの絶景に一役買っているのが見てとれた。
神戸のシンボルと言わしめるほどの存在感を放つポートタワーも、今やそっと彩りを加えるに過ぎない控えめさである。


よく見ると一つひとつ大きさの違う光の粒たちは、その日のお昼にしたベネツィアガラス体験を思い起こさせた。

それぞれ大きさの違うガラスパーツを組み合わせ、アクセサリーを作るというものである。

存在感のある強い光はいちばん大きな5mmのガラスだし、細かな光はピンセットでつまむのも苦労した2mmのガラスみたいだと思った。

はじめて目に映る世界だった。
いくらでも眺めていられるような気がした。


よく見ると、遠くのちいさな光はちかちかと点滅しているように見える。
手前の光たちは、自分の役目をまっとうするかのようにしんしんと輝き続けているというのに。

向こう側だけ瞬いて見えるのは、いったいどういうことなのだろう。
不思議やなあなんて言い合いながら、でもやっぱり近くも遠くも全部あわさってこその絶景なのだった。


「煌めき」とか「きらきら」とか、その響きだけで華やかな輝きを連想させるような言葉が好きだ。

でも、たまにはこうやってぼうっと「綺麗やなあ」の一言ですべて事足りるような、
到底言葉にできない、むしろ表現することが野暮に思えるほど強烈なインパクトのある景色や感情にぶつかるのも面白いなあと思う。
(って、一生懸命表現したあとに言うのもあんまり説得力ないけども笑)

言葉を大部分の支えに生きている人間ではあるけれど、ごくたまにやってくるこんな経験は、確実にわたしを豊かにしてくれるのだ。


そんな素敵な経験に。
素直な言葉で伝えたい、ありがとう。

#エッセイ #夜景 #星を掬う

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